ラストマイル見た 24/08/24
※映画ラストマイルのネタバレ若干あります。いや無いかも。でも一応。
「野木ユニバース作品か~! でも今までの主人公たちが頑張って捜査したらどんな事件でも解決できちゃうんじゃない? どんな敵なんだろう?」
「全部」
「え?」
「人類が積み上げてきた営みの全部。資本主義社会と、そこに行き着くまでの経緯すべて。システムすべて。そしてその中で少しずつ変容してきた(していく)常識や倫理すべて。もしかしたら社会生物としてのDNAと本能も。とにかく『全部』がラスボスです!」
「どうやって勝つんですそれ?」
「? それはわかるでしょ。全てに絶望して爆弾を作るか、覚悟と愛に殉じて爆死すれば勝ち逃げはできますよ」
「ええ……」
みたいな感じの映画でした。スーパーロボット大戦ではあるけれども!
スパロボやったことありますか? いろんなアニメのロボットが出てくるのはご存知かと思うんですけど、一回でもラスボスまでやったことある人はオタクだけですよね。だいたい、なんか次元を歪めるシステムとか宇宙の神的な存在とかと戦うことになるんですよ。いろんな主人公がよってたかって戦わなきゃいけない存在ってことで必然的にそうなるんですけど、この映画もそれでした。
いろんな主人公たちが立ち向かう必然性のある共通したなにかとなると、もう「営み」そのものしかないという話。
どうしようもなくクソで、理不尽で嫌なことばかりだけど喜びや生きがいや友情、愛、あらゆる温かい気持ちもそこにしかない、社会という目に見えない概念。それを観測するために、物流という社会の血管がテーマとして選ばれたんだなーと思う。
ストライキで大企業に立ち向かうシーンはもちろん痛快だったけど、あれも同じ社会の中で生きるもの同士の争いだからね……。同じ車でチキンレースしてどっちが泰然としてるか、という話でしかないとも言える。「あれをきっかけに社会が良い方に進んでいけばいい」と祈らずには居られないけど、弱いものが虐げられないことを「良い方」と無邪気に断言してしまえるほど単純な世界じゃないのかもしれない。
大事なのは、良いことをしたか悪いことをしたかという尺度ですらない。生きていく中で、決断によって社会と拮抗する瞬間が一個人の身に降りかかるりうるということと、その時に目を開けているのか、閉ざしたままなのか……。どちらにしても平等に過ぎ去っていく刹那があるという事実そのものがこの映画のテーマなんじゃないですか? 意味分かんないですか?
舟渡さんと梨本さんの関係性ってなんなんだろう、愛じゃないし恋じゃない、連帯と共感はあるけどバディというほどでもない…… と思いながら見てたから、「今順番が回ってきていて、それを完遂した人」と「次に順番が回ってくる人」だと発覚したときは膝を打つような気持ちよさが一瞬だけあって、そのあと「どうすんだよこれ……」になった。
最初のほうで「ラスボス」と書いたけど、戦いなんて起こることのほうが珍しい。このような事件はしばらく起こらないだろうし、大過なく時は過ぎて、いつのまにか自分の順番は終わっているかもしれない。ただ、ドアの裏に隠された文字は絶対に消えない。あのロッカーだけじゃないかもしれない。「12個目の爆弾」みたいに、まだどこかにいろんな出来事のいろんな証拠があって、それらがいつか目覚めて決断を迫るかもしれない。こちらの顔なんかいちいち見てくれないはずの社会が、気づいたらバチバチに目を合わせてくるかもしれない……。
エンドロールが始まった時そう思って、どうしよう怖ぇ! そんなの耐えられないよ! と感じたけど……。きっと東京中をかけずり回って捜査していた四機捜の皆や、誰にも理解ってもらえなかった遺体に寄り添うUDIラボの皆のことを思い浮かべると少しだけ勇気づけられるような気がした。
絶対に勝つことはできない戦いの瞬間が誰しもに訪れるかもしれない。それでも負けはしないように踏みとどまるということ。失われたものたちのことも忘れないようにすること。そういう光を主人公たちの中に見て、どう感じるかということ。
そういう意味で、確かにこれまでのドラマのシェアード・ユニバース・ムービーだなーと思いました。以上! なんかネタバレというほど具体的な話できなかったな。まあええか。