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お父ちゃんのヤキメシ

何度も何度も繰り返し書いて、もうしつこいと思われましょうが繰り返し書きます。僕は子供の頃、物凄い偏食児童だった。食べられるものが殆どない状態。正確には自分が「これは食べられる」と判断し、信用したものしか食べなかった。食べず嫌い。前例のないものは申請不可。無条件で食べるものはご飯、海苔、醤油、調味料など。肉も魚も野菜もおかずは何もいらない。主食と多少の味付けだけで結構。今と比べると想像も出来ないくらいの一途で頑なな小食主義。そうは云っても何だかんだで他にも色々食べていたとは思うけれど、基本的に「要らない、食べない」と審議拒否。理屈も何もないので交渉にすらならずに食事タイムアップ。

今でもそうした気持ちはほんの少しだけ自分の中に残っていて、突然物判りの悪い偏屈な自分になってしまう。ふと我に返ると、自分が何に反対して何に抵抗しているのか見失っていることに唖然とする。気が付くと原野の真ん中に自分一人がぽつんと立っていて風に吹かれている感覚。これは世の中でもよくあることなのではないかと思う。

僕のお父ちゃん、小野瀬義郎は昭和4年(1929年)10月生まれ。今年(2020年)2月にあの世へ旅立った。お父ちゃんは太平洋戦争中や終戦直後の過酷な食糧難をどうにかしてくぐり抜けて生きて来た。食べるものが芋の葉や茎だけと云う時代もあったとのことで、その反動でお父ちゃんは野菜は全く受け付けない身体になってしまった。緑色をしたものは全てダメ。葉物野菜だけでなくキュウリやメロンも受け付けない。食べられない。

なので我が家の食卓に野菜が並ぶことは少なかった。特に僕が子供の頃は食卓に野菜は皆無状態だったので、必然的に僕も野菜を食べないこととなる。食べないと云うか野菜を知らない。同居していたおじいちゃん(母方)も僕のことを溺愛していたので、僕がイヤだと云えばそれが正義。何も強制されず、ワガママで傍若無人な子供に育った。好きなものだけ食べて好きなように暮らしていた。幼稚園までは。

それが小学校に入学すると、僕の主義主張は全く聞く耳を持たれなくなった。給食の時間には、見たことも聞いたこともないような料理を眼前に置かれ、これを食べろと強制される。今のように優しい時代ではないので、推奨ではなく強制。全量摂取が義務とされ、例外はほぼ認められなかった。

そんな中で僕が食べようと云う意欲が起きる食べ物は少なく、牛乳とパンだけはなんとか食べるけれど主菜に手を付けることはほぼなかった。食べられない給食の容器を机の上に置かれたまま、昼休みにも席を立つことを許されず、午後の授業中も冷めた給食が机の上にそのままあることが日常。5時限目、6時限目。長ければ下校時までずっと。どんなに勧められても怒られても無視されても嘲りを受けても、僕は拒否し続けた。

小学校中学年になると、もう何を拒否しているのか自分でも判らなくなっていたと思う。心は沈み、毎日が絶望的で、逃げることばかり考えていた。自分の主張を曲げるくらいなら死んでもいい、と云う強い気持ちではない。隙あらば逃げ出してやろう、重い病気に罹って入院出来ないかなとか、学校の校舎にデモ隊がやって来て放火し破壊してくれないかなとか、そんなことばかり考えていた。ウルトラセブンが敵基地のビルをどひゃーっと壊すシーンを思い浮かべて、あのビルが自分の小学校だったらどんなに嬉しいかと、校舎を見上げながらいつも思っていた。

その当時、僕のお父ちゃんはそんな僕の気持ちを知ってか知らずか、僕の気晴らしになるようなことを色々と考えてくれた。ドライブに連れて行ってくれたり、一緒に絵を描いたり。そしてとある日の一言。
「まー(雅生のまー、僕のこと)、ヤキメシ食べるか?」

お父ちゃんは自分に輪をかけたように偏食の酷い僕のことを慮って、具が何も入っていないヤキメシを作ってくれた。それを再現してみた。

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本当に何も具がない。徹底的にない。

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ご飯を油(サラダ油)で炒めて、醤油と味の素少々だけで味付け。これが僕にとってのヤキメシお父ちゃんのヤキメシ

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これに玉子やネギを入れてしまうと、チャーハンになってしまう。チャーハンはチャーハンで好きなのだけれど、これはヤキメシである。作ってみて食べてみたら、これが抜群に美味しかったのだ。過不足ない。僕の好きな味だ。自分でもこれが美味しかったと云う記憶に半信半疑だったが、僕がこれを子供の頃に食べて感動して、今の今までずっと覚えていたと云うのに納得した。食べ進めるとどんどんウマイ。どんどん好きになる。ウマウマウー。心の奥底で子供の頃の僕が、ほーらお父ちゃんのヤキメシはウマイでしょ、と笑った。作ってみて良かった。僕が今ここにこうして笑ったり怒ったり歌ったりギターを弾いたり曲を書いたりどこかへ出かけたり文章を書いたり誰かをスキになったりフラれたり泣いたり悲しんだり酒を飲んで電車で爆睡して見知らぬ駅で目を覚ましてパニックに陥ったりすることの根底がここにあった。共感なんて得られないとは思う。でも全てがこの味わいの中にあった。それだけぼんやり伝えられたら本望です。

学校給食が食べられなくても、僕にはお父ちゃんのヤキメシがある。それだけで気持ちが明るくなって、学校が少し怖くなくなった。お父ちゃんのヤキメシが僕に前を向いて歩こうとする力をくれたように、僕も誰かに力添えを出来る人間になりたい。ちょっとずつだろうけれど、やってみよう。

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神戸三宮『天一軒』のヤキメシ。僕の外食でのヤキメシ(チャーハンではない)の最高峰。世界一ウマイ料理。これと僕が作った具も何もないお父ちゃんのヤキメシは確実に繋がっていた。どうしてそれを今まで検証しなかったのだろう。いつかこれも再現に挑戦してみよう。もしかしたら近くまでは行けるのかも知れない。行ってみよう。行けばわかるさ。

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小野瀬雅生
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