幼稚園のり弁当
先日作って記事を書いたのり弁当は、お弁当屋さんで買うのり弁当のことだった。今回記事を書くのり弁当は、僕が子供の頃にこよなく愛したタイプのものである。
僕が小さかった頃に通った幼稚園は、給食制度がなかったので毎日お弁当持参。僕の幼稚園での昼食は頑なにこのお弁当だけ。偏食児童だった僕の、これが極めつきの食事。海苔とご飯と醤油だけ。他には何も要らない。母ちゃんがちょっと気を利かせてウインナーでも入れようものなら「なぜ余計なものを入れた」と非難囂々。海苔の下に鰹節のおかかを入れても「創意工夫の必要ナシ」と一刀両断。今現在の僕と比べて何倍も何十倍も意思が固い。ストイックと云う言葉に最も相応しいのではないかと思う。他ののり弁当との違いを表すために、このタイプのは今後、幼稚園のり弁当と呼ぶことにする。
幼稚園のり弁当を作る
お弁当箱にご飯を敷き詰める。
ご飯にお醤油をかける。
海苔を敷く。
蓋をする。これで幼稚園のり弁当出来上がり。大事なことは、出来たてでなく何時間か経過したものを食べること。ご飯に海苔の風味や旨味が沁みて、出来たてよりも何倍も何十倍も美味しくなるからだ。
幼稚園のり弁当を食べる
当時を完全に再現すると云う点では、このようなポップな色柄の布でお弁当を包んではいけなかった。こんなに赤いと女の子のお弁当のようだ。きっとみんなにそう囃し立てられたに違いない。
作ってから大体4時間後。
海苔がご飯の水分を吸ってしっとりとしている。一目で食べ頃だと判る。海苔は食べやすいように予め適当な大きさにカットしておいた。
ご飯だけ、ご飯と醤油だけ、そうしたお弁当も成り立たないわけではないが、海苔が参加することで格段に完成度が高まる。栄養学的には大問題であるだろうけれど、僕にはこれだけ、これだけであることが必要だった。
僕は手が汚れるのを極度に嫌う子供だった。砂遊びにも泥遊びにも参加を遠慮した。園庭で遊ぶ時間には、僕は真っ先にジャングルジムの天辺に登って、そこから皆が遊んでいるのをずっと眺めていた。当時仲の良かった女の子がジャングルジムに登ってきて「一緒に遊ばないの」と訊くのだけれど、僕は「いい」と応えるだけ。その子は僕と一緒に皆を眺めていたり、ふと皆の方に遊びに行ったりした。世界は狭く、隅々にまで手が届いて、脅かされることは殆どなかった。僕の中のどこかに、この小さな世界はずっと大切にしまってある。僕のお弁当のように、シンプルな世界。僕はあの頃、世界の全てを知っていた。
実に美味しい。幼稚園のり弁当を今改めて食べてみて、こんなに美味しかったのかと驚いた。ご飯の白いところ、お醤油の沁みているところ、その境目、海苔のあるところ、ないところ、それぞれにそれぞれの味わいの良いところがあって飽きない。お醤油の沁みているところでも味覚をオーバーに刺激されない。キャパシティーの6割か7割くらいまでで推移する。食べ終えた時の充足感も程好い。これでいいのだ。ウマウマウー。僕の幼稚園のり弁当は優勝だ。
当時のことを思い出すだけでなく、再現してみること。僕にとって大事な作業になりつつある。次はあれをやってみよう、これにしてみようかと考えるのはとても楽しい。こんな時代だから楽しいことをどんどん増やしてみたい。その殆どはくだらないことだろうけれど、それでいいんだよ。ジャングルジムの上から小さな僕が今の僕を見下ろしながら、そう云ってくれているような気がする。