小野瀬雅生の2023年ベストミュージック10選+α【後編】
長くなったので前後編としたが、前編を自分で改めて読んでみて、そりゃ自分は判るけどこれを読んだ他の人はちんぷんかんぷんなのではないかとも思った。それでもそのちんぷんかんぷんを随分多くの方が読んでくれてスキもいっぱい付けてもらった。なので後半も自信を持ってちんぷんかんぷんで行こうと思う。2023年に僕が深くコンタクトした音楽をご紹介する文章の後編。前編はこちらにある。2023年に発表されたものも、もっと昔のものも、いつ発表されたか判らないものもある。まずはちょっと今までやっていないことから始める。
今までは自分のこうしたセレクションに自分が制作に参加した作品は入れずにいた。深い理由はなくて何となくこそばゆい感じがしたからだ。でも今回のクレイジーケンバンド『世界』は、自分の2023年になくてはならない音楽であるからして、改めてこうして取り上げてみることにした。それぞれの曲の成り立ちは剣さんのインタビューなどを読んで戴くとして、僕がこの作品にどう携わったのか、だ。25年前にファーストアルバムを作った頃は、ギターのみならずピアノ、エレクトリック・ピアノ、シンセサイザー、ヴィブラフォンなど全部僕がプレイした、サードアルバムまでは僕がキーボードを弾いた。でももう剣さんのリクエストに僕のキャパシティでは応えられなくなって、トシちゃん(高橋利光)に参加してもらって、演奏者としてはギターに専念出来るようになった。それでもまだ剣さんの曲の譜面起こしであったり、アレンジのリクエスト聞き取り作業であったり、レコーディングディレクター的なものも兼務していなければならなかった。多面的なレコーディング作業に深く携わっていたその時期から比べたら、現在はギターを弾いて、コーラスを入れて、自作曲を作ってそれをディレクションして、など作業内容は随分と少なくなった。だからと云って『世界』のレコーディングに肩入れしていないわけではない。全ての曲に深くコンタクトしたと自負している。僕はクレイジーケンバンド以外にも、自分のバンド小野瀬雅生ショウがあったり、SKA9にも参加していたり、ソロで全国を回ったり、色々なプレイヤーの皆さんとセッションしたりライブをやったり、色々とやっている。クレイジーケンバンドに集中してやらないのかと云う声もあることにはあった。でも僕は常にずっと演奏していたい。常にライブをやっていたい。この気持ちが僕のプレイヤーとしての基本だ。だから色々とやる。そこで色々と得たものをまたクレイジーケンバンドに反映させる。そのスタンスでやって来たのが、60歳を過ぎた今、全てがスムースになってきた。自分がギタリストとしてなるべくしてなるであろう形になりつつある(なろうとしたわけではなく)のと、愛器のギブソン・ファイアーバードがリフレッシュして戻ってきたのと、コロナで活動に制約を強いられた数年からようやく脱却出来つつあるのと、何よりもここ数年で剣さんとの関係性がより一層深化したと云うのも大きくある。剣さんと音楽活動をするようになってこれで33年目。それで深化もなにもあるのかと問われれば、いやそれがあるんですよと答えるしかない。20代30代にあった音楽への興味や嗜好や意見や歓びが60歳を過ぎた今も変わることはない。変わるどころか増えている。増量してダダ漏れになっている。その感じが2作前のカヴァーアルバム『好きなんだよ』で明確に判って、剣さんの意図に沿ってギターを弾きながら、『樹影』から今回の『世界』にかけてずっと同じ一つの何かを求めているような気がしてならない。『世界』の最後に収録の「観光」と云う曲が、何かの始まりであるような思いもある。甘い記憶、泣かないで、世界のどこかの空と海、宇宙の暗闇、カマロで本牧ぶっ飛ばしたい、Get Ready、である。観光と書いてタビと読む。観光の始まりだ。レッツゴーゴー遊びに行こうー俺の話を奥さんのためならー昭和にワープだ。本当に何を云ってるのかわからんですね。すみません。あと新加入のドラマー白川玄大くんのおかげで僕は自分のリズムをもう一度見直すことが出来た。この出会いに深く感謝する。アルバムのレコーディング中にも目から鱗が何枚も落ちた。『世界』のアルバムを聴いていると僕の目から落ちた鱗がまだいっぱい落ちている。ライブをやっている時にも随時落ちているので、僕の足下は鱗だらけである。歩くと鱗がじゃりじゃりと音を立てる。人生鱗まみれ。全くアルバムレビューにも何にもなっていない支離滅裂な近況報告に終始してしまった。すみません。2024年のクレイジーケンバンドにもどうぞご期待ください。
坂本龍一『12』。この世を去られる直前(2023年1月)に発表されたソロアルバム。坂本さんの音楽やプレイをそれ程肩入れして聴いたことはないが、このアルバムは心に響いた。ご自身の闘病生活の中で日記を書くようにスケッチした作品から12曲を選んだ、とのこと。そうした情報を省いても、このアルバムに収録された音楽には特筆すべき美しさを見いだせると思う。更にこの音像の中から何が垣間見えるか。純粋に音楽の扉や窓があって、それが開いている。誰もいないけれどちゃんと誰かが構築した世界。それが精神世界とか神域とかそう云うスピリチュアルなものではなく、研ぎ澄まされて洗練された数列と云うか角度の集積と云うか、ピアノの設計図と云うか配線図と云うか。それでも純粋と云うわけではないんだよね水面が反射しているだけで水は澱んでいる。それでもそこに映った空はキレイね、と云うところ。空か。空はキレイだねいつも。でもあまりにも澄んだ水だと魚は住みにくい。濁っているくらいで魚には良いんだよ。ずっと聴いています。
PerfumeのEP『Moon』。僕のお気に入りはカップリング曲の「ラヴ・クラウド」の方。ラブクラフトかと思いましたよはっはっはっ。そんなクトゥルーな。それはそうと「ラヴ・クラウド」はもう徹底的にコードが難しくて調性もはっきりしないくらい行き切っている。ビートは明確だが他はもうちんぷんかんぷん。でもこれがいい。これでいい。サイコーに好きです。曲のエンディングを大幅にエクスパンドしてアラン・ホールズワースでもスコット・ヘンダーソンでもアウトバリバリのぐねぐねギターソロ入れて欲しかったくらい。個人的趣味ですみません。
ピーター・ガブリエルに至っては21年ぶりのニューアルバム。2023年に入ってから満月の日に1曲ずつ発表されてきたものにプラスアルファでアルバム『i/o』として完成という興味深い成り立ち。それぞれの曲は聴いていたものの、こうしてアルバムとして、一つの流れとして聴いてみると新たな感慨がある。その精神性やメッセージは他の方の解説に詳しいので、僕は僕の勝手な感想を書く。ピーター・ガブリエルの声は若い頃からじじいの声だった。ランディー・ニューマンにも通じるしゃがれた変な声。その声が実年齢(今73歳だそうな)にマッチしてきた感じがある。ニューアルバムのどの曲も優しくスムース。棘々した攻撃性はもうない。平和へ、融和へと説くメッセージ。3曲目「Playing For Time」の美しさたるや。至高の作品である。でも他の曲では(この曲の後半でも)トニー・レヴィンのベースだけが未だに火を噴いて激ヤバ光線をピーピー発している。さすがです。でもこんなに歌にしっかり寄り添うベースはいないと思う。あと「i/o」で一瞬7拍子が入るのがもうたまらん。
2023年の夏に突如として自分の中でブレイクして物凄く聴き直したミッシング・パーソンズ『Spiring Session M』。1982年の作品。レコードで持っていました。当時も良く聴いたが、今改めて聴くと発見の連続。ドラムのテリー・ボジオ以下メンバーはフランク・ザッパ・バンドの卒業生勢揃い。改めてウオーレン・ククルロ(現デュラン・デュラン)のギターがスゴイと思った。その後の80年代サウンドのお手本と云うか総合カタログじゃないかこれは。シンセベースの在り方、シンセサイザーの切り込み方、もう何もかもがここにある。源泉掛け流し。いい湯だな。湯治して元気になりました。
スティーブン・ビショップ『Careless』には僕の大好きな「The Same Old Tears On a New Background」と云う曲が収録されている。いやこのスティーブン・ビショップこそがこの曲の作者なのだと知った。そうだったのか。ヒットした1曲目の「On And On」は知っていたけれど、アルバムの最後にこの曲が来る。僕が中学生の頃から聴いているのはアート・ガーファンクルのカヴァーヴァージョン。リリースはアートの方が先。だから長い間見落としていたのか。そうだったのか。そしてこの作者による「The Same Old Tears On a New Background」も物凄く美しい。バッキングはギター1本(もしかしたらダビングしてるかも知れないけど)。アートヴァージョンのオーケストレーションてんこ盛り甘々プリンアラモードなサウンドも素晴らしいが、こちらの三ツ矢サイダーコップ一杯の清涼感も引けを取らない。こんなに綺麗な声をしていたのね。たまりませんわ。
突然にt. A. T. u.の「Not Gonna Get Us」だけが僕の中でブレイクした。プロデューサーのトレヴァー・ホーンの仕事を色々と追っている時に再会した。これはそれだけ。でも「Not Gonna Get Us」は素晴らしい。問答無用。
2023年1月にジェフ・ベックがあの世に旅立ってしまった。そのことをまとめそびれていた。何をどうやったらこの域に達することが出来るのか、ずっと考えて練習して実践して、でもやっぱり判らない。楽器を弾く人なら判ると思うが、やはりこの人の手や指があってこそのこの音なのだ。ギターはそれが如実に出る楽器である。僕がジェフ・ベックみたいに弾けないのは僕がジェフ・ベックでないからだ。そんな禅問答のようなことをずっと考えていた。僕にとってのジェフ・ベックの作品はやはりこの4枚。『Wired』は乱暴さと丁寧さが同居している。乱暴なのは「Led Boots」だけなんだけど。それにしてもこの乱暴さを乱暴なまま調理したプロデューサーのジョージ・マーティンの手腕たるや。「Goodbye Pork Pie Hat」はギター美の極致であると思う。ヒスノイズまで美しい。どちらも歴史的偉業であると思う。『Blow By Blow』も素晴らしいけれどまだヤン・ハマーがいない。『There And Back』はアルバムの途中で居酒屋から急にバーに移動みたいな感じだけど僕はこっちの方が好き。そしてJeff Beck with Jan Hammer Group『LIVE』に至っては、空にカメラを向けていたら偶然火球が飛んできてそれを撮影出来たような奇跡的瞬間がキャプチュアされている。火球どころか獅子座流星群のように奇跡が降り注ぐ。アルバムの最終盤で集中力が低下して雑なプレイになってくるのも愛おしい。僕が若い頃からずっとずっと聴き続けているけど未だに理解不能で再現不可能なギターサウンド。僕とは人間がギターを弾くと云う共通点しかない。でも一つだけでも共通点あるじゃん。やったぜ。それを励みにこれからもギターを弾きます。何のこっちゃ。
月亭可朝先生は神奈川県横浜市出身(生まれは葉山町)なんですよ。知ってましたか。シングル盤『嘆きのボイン』は1969年にリリースされて80万枚も売れたんですと。ボインと云う言葉は大橋巨泉さんの造語。可朝さんも巨泉さんもあの世に旅立って、この世ではボインが死語になりつつある。ならば僕が、細々とでもボインを語り継いで行かなければならないかと考えたりもする。それにしてもこのジャケットの可朝さんの嬉しそうな表情。現代では絶対NGのジャケットデザイン。今の世の中アレもダメ、コレもダメと息苦しくなって来ているが、そりゃアレは絶対ダメだけどコレまでダメと云われるんじゃ立つ瀬がない。対話がない。各自それぞれ自分の意見を開帳するだけでは何も進展しない。まあそうやって何も進展しないまま人類の歴史は積み重なってきたのだけど。もしかしたらこれから対話は行われるのであろうか。国、人種、宗教、差別、性別、ああでも性別は性別だよそこも深く難解な話だけれどどちらにしても対話がないとダメじゃないの大前提って何だよ誰が決めるんだよ前提って人々が殺し合ったりしないで仲良くしようと云う前提しかないじゃないかああもうこれ以上はやめる怒られちゃうどさくさに紛れてボインもよろしくチチ帰る何のこっちゃー。
長文駄文極悪文を最後まで読んでくださいましてありがとうございます。今年も些細なみみっちいことに引っ掛かって大きなことは全然出来ないかも知れませんが(毎年のこった)2024年も小野瀬雅生をどうぞどうぞヨロシクお願い致します。
末永くがんばりますのでご支援よろしくお願い致します♫