お父ちゃんとピストル
僕が子供の頃はテレビを観ているとピストルがいっぱい出てきた。海外ドラマや映画のスパイ物や西部劇、日本の刑事物や探偵物、みんなピストルを持ってパンパン人を撃っていた。特撮でもアニメでも、ルパン三世も次元大介も、天才バカボンのおまわりさんも、みんなピストルをこれでもかと撃っていた。僕はあまり争いごとを好まなかった子供だったのだけれど、銀玉鉄砲を持って友達と遊ぶのにそれ程の違和感もなかったし、楽しかったんだと思う。
小学校6年生になってスーパーカーブームがやって来て、それにちょっと遅れて今度はモデルガンブームがやって来た。これは全国的ではなかったかも知れないけれど、同じクラスの男子がモデルガンのカタログを学校に持ってきたのを皆で見て、ワルサーだのブローニングだのマグナムだのと名前を覚えて欲しい欲しいと云い合っていた。実際に何らかのモデルガンを持っていた奴はヒーロー扱いだった。僕もモデルガンが欲しいと思った。
お父ちゃんにモデルガンを買って欲しいと訴えた時のことだ。どれが格好良いのか、どれのどこが好きなのか、事細かにプレゼンをして自分の気持ちを伝えた。その時のお父ちゃんの表情を何となく覚えている。笑っているような困ったような、そして悲しんでいるような。そしてこんなことを僕に云った。
「銃は嫌いなんだ。銃口を向けられた時の気持ち、あんまり良い気持ちじゃないぞ」
その時は何を云っているのか全く判らないし、響かなかったけれど、その言葉がぴたっと気持ちの表面に張り付いたようになった。暫くしたら僕はモデルガンへの興味をなくしてしまった。自分が銃口を向けられる。そんなことは考えたこともなかった。
お父ちゃんと一緒に家族で横浜は本牧にあった米軍住宅の中に入ったことがある。入口のゲートにいた兵士が持っていた銃は怖いと思った。でもそれはテレビのピストルやカタログに載っていたモデルガンとは繋がって思えなかった。お父ちゃんの一言でそれが全部繋がってしまった。お父ちゃんは別の時にはこんなことも云っていた。
「結局、人殺しの道具だからな」
お父ちゃんは戦争のことも、戦後の横浜のことも、あまり事細かに話さなかったけれど、話の端々に突然お父ちゃんの経験談が猛スピードで割り込んでくることがあった。それをいちいち全部は覚えていないけれど、お父ちゃんの友達が米兵に銃で撃たれて死んだこととか、悪い奴が銃の米軍から銃の横流しで大儲けしたとか、あいつはどうしたとか、こいつはどうなったとか、テレビの中の世界に負けず劣らずのおっかない出来事がお父ちゃんの口を突いて出てきて、僕は度々びっくりした。
僕が初めて海外に行ったのは、僕が27歳の時。1990年に剣さんと廣石さんが在籍したZAZOUと云うバンドに正式メンバーとして参加することになり、いきなりロンドン(アルバムのTDのため)に連れて行かれた時だ。当時の僕はまだ北海道にも九州にも行ったことがなかったのに、いきなりロンドンだった。僕たちの搭乗したヴァージン航空(今はもうない)の飛行機は成田を発って、途中モスクワに給油のために着陸した。
着陸しても乗客は機外に出ることは出来なかったので、席に着いたまま窓からモスクワ空港の写真を何気なく撮った。その時に飛行機の下にいた兵士が僕に向けてライフルの銃口を向けた。もちろん飛行機の窓を撃つことなどなく、ちょっとふざけて脅しただけだったのだろうが、僕はお父ちゃんの言葉を実際に体験することとなった。銃口を向けられたのは人生でその一度だけだけれど、お父ちゃん、本当だ、良い気持ちはしなかったよ。
アメリカにテッド・ニュージェント Ted Nugentと云うギタリストがいる。70年代に豪快なハードロックを披露し、一時代を築いたアーティストだ。ただ彼は全米ライフル協会の幹部であり、銃規制に頑なに反対の立場を取り、差別主義者で、問題発言もとても多い。銃乱射事件の起きた高校の生徒が銃規制運動を起こした時も、生徒を嘘つき呼ばわりするなど最低な発言を表明した。現在よくネットで見かける「今まで貴方のファンでしたが、嫌いになりました。ファンやめます」と云うのを僕は実行した。Cat Scratch Feverのイントロなんて魂が震えるほどサイコーなんだけどな。弾いていてこんなに高揚するギターリフも少ないのだけどな。もう本当に聴かないし、弾かない。心から残念に思う。
ふと思い出したが、クレイジーケンバンドで全国にツアーに出るようになったある時、地方でファンの方に「横浜って、あぶない刑事みたいに、みんな銃をパンパン撃ってるんですか」と訊かれたことがある。テレビの影響と云うのは怖ろしいと思った。僕は「最近はそうでもないかな」と応えたのだけれど、実際僕が中学生の頃は横浜のあちこちで発砲事件が頻発していたし、あながち的外れな返答でもなかったように思う。
横浜は平和に見えて、全然そうでなかったのを肌で感じながら僕は育った。テレビよりももっと陰湿で残酷であっけらかんとした世界。貧困と差別と偏見と無知蒙昧。それらはまだ形を変えてしっかりと生き残っている。もしかしたら日本全国、どの街もそうなのかも知れない。また思い当たることがあったら、別の観点から書いてみようと思う。
100円ショップで買ったおもちゃのピストル。よく見るとやっぱり良い気持ちはしないな。ギターの方がずっと良い。
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