逃走劇①
これは僕が24〜25歳の時の話。
もう4.5年前の新卒時代である。
後にも先にも逃走したのはこの一度きり。
この環境にいたら、僕も同じような人間になってしまうかもしれないって思って1番尊敬するお世話になった先輩が辞めたあと、
数ヶ月して「僕も辞める」って
シェフに話したんだ。
今まで社員もアルバイトもたくさん飛んでる人を見てたのもあって、
僕はたくさんの先輩方にお世話になってたので
ちゃんと辞めたくて、何度も手に汗を握りしめながらシェフと話した。
ビュッフェメニューで悩んでたら相談にのってくれる先輩や、元気がなかったら笑わせてくれたり、毎回パスタの味見をさせてくれたり、料理を診てもらったり。
でも、何回話しても
「辞めていいなんて誰も認めてない。」
「それは筋が通らない。」の一点張りだった。
そんなんがおよそ半年間続いた。
当時の自分の仕事としては、
ビュッフェメニューの考案及びレシピ作成、
新メニュー試作会の進行、冷凍庫/冷蔵庫の食材管理、在庫管理、消耗備品の在庫管理、3ポジション(前菜、セコンド、ドルチェ)の仕込み、コース準備、ラインクック、デリバリー管理、店内清掃(グリスト、鍋磨き、フライヤー、換気ダクトのフィルター洗浄など)、、etc
思い出してみると結構やってたなと。
1人でやるのって凄い大変だろうから、僕の後に入った3人に当時僕がやってた仕事を分配して組織として上手く回るように指導した。
後継者として自分の仕事を適当に3人に受け渡した。
ここまでして、あとはどの筋を通せばいいの?
っていうのが僕の感想で、その当時は色々とメンタルもボコられていたので、友人たちにも心無いことを言ってしまったりと申し訳ないことをしたなと思っている。
趣味にもそこまでリソースを割けなくて、
当然自分を生かせるライフスタイルではなかったし、このままじゃあ自分の人生が何のためなのかよく分からなくなりそうだったからとりあえず辞めることにした。
ま、戦うだけ戦ったなって思った。
8月の頭には来月いっぱいで本当に辞めます。
とシェフに言った。
そんで9月の最終日には、先輩に
「もう明日から来ません。お疲れっす。」
って言ってそんな感じで包丁持って、飛んだ。
自分が腐る環境にこれ以上時間と心と体力を使っても無駄だと思ったので、とりあえず札幌を1週間離れようと思った。
携帯がちょうど壊れたので、
1週間携帯なしで、旭川の友だちのところに転がり込み、2日ほど稚内の近くにある実家に行ってみた。
その後の話では、
僕が出勤して来ないからっていうので
シェフが指示して先輩や警察が家に来てたらしい。
そして、なんだかよく分からないまま
僕はその店舗を永久出禁となったらしい。
シェフと幹部社員以外は仲良かったから実際にはたまに顔出してたけどね。
とにかくたくさんの人に迷惑をかけまくっちゃったことは今でも後悔してるけど、辞めてなかったらもっと後悔してたと思う。
日本の飲食業ってかなりブラックだなあとか、しょうもないなあとか思うところはたくさんあったけど、一応大手よりの中企業だったのもあって、本部の目が地方まで届かないなんて、よくあることなんだろうなって感じたよね。
そういうことを後日、
人事部のお世話になった本社の人と話して、
「辞め方は良くないけど、現状は理解できた。これからも応援してるから頑張ってね」
と優しい言葉をかけてもらえた。
程なくして退職届を書いて、有給消費分の給与を受け取り名実ともに退職した。
パワハラモラハラまみれの新卒時代を経験できて、個人的には結構良かったと思ってるし、
あそこまで色んなことを1人でやらせてもらえたから店舗の構造をほとんど理解できた。
だから、社会人2年目でもある程度飲食店のシステム構築や効率化に目を向けれたんだと思う。
ここから荒狂う最高のフリーター生活が始まった。
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