<アルコール依存>×<借金>の克服体験記#6 お酒を飲むようになったワケ③
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※個人情報が含むものは一部改変して記載しております。
私のお酒ズブズブから回復の段階は
大きく分けてこちらの7段階
1. 覚醒期
2. 蛇行期
3. 負のスパイラル期
4. トラブル勃発期
5. ドン底期
6. 寛解期
7. 現在
今回は「蛇行期」→「負のスパイラル期」に入るまでの過程です
大学卒業後に大学院に入りましたが
博士まで進むつもりはなく修士で卒業する予定でいました
業界研究などの就活をきちんとしていなかったのもあり
内定が全然もらえませんでした
今でこそ
一般企業に入らないで企業・フリーランス・ノマド
など多様性が広がりましたが
10年くらい前です、
「新卒は正社員で入らないと詰む」
という価値観が普通の時代でした
語学がそこそこはできるんですが
できるいっても日常会話がまあできるかな~のレベルです
社会人経験がなかったですし
帰国子女レベルの新卒の人には到底かなわないわけです
両親もいなくて、親戚も疎遠でしたので
いったん実家に戻って就職先を探す
ということもできませんでした
仕事が無い=死
だと思い込み、なんでもいいから!と、
条件が悪い会社も必死にエントリーしました
結果、3月の下旬のギリっギリに1社決まりました
で、ここまでで何となく察しがつくかもしれませんが…
入った会社がブラックでした
小さい会社で、業種的にはイベントの企画・運営でした
海外からのお客さんが多かったので
外国語ができる人がいいだろうとのことで採用してもらいました
ただ、小さい会社で教育体制もまったくないので
社会人経験がない自分はお荷物みたいな存在でした
リアルでお局さんみたいな人もいました
即戦力でもない煙たがられた結果、
全然関係ないグループ会社の飲食店の店員を命じられました
企画も何もありません
外国語はたまーに来店した外国人のお客さんに使うことがある程度でした
毎日ホールに出て
お皿を運んで、食器を洗って、営業が終わったらレジ締めをして
パーティー予約があるときは
終電までぶっ通しで勤務していました
当時はまだ今のように最低賃金が今の金額ではなく低かったので、
使用期間6か月で、その間は時給850円でした…
→これ、都内です!
一人暮らしの中で時給850円では生活していけなかったので
週5で働いて、残りの2日は単発のアルバイトをしていました
飲食店の仕事自体は否定するつもりはありませんし
働いていた飲食店の業務にも面白い仕事はありました
ですが、当時の自分は、変なプライドがありました
大学院まで卒業しているのに、なんで自分は飲食店の店員の仕事をしているのだろうか…
留学もしたし進学もしたし奨学金でかなりの借金もした。それなのになんでこんなことをしているのだろうか…
ここまでつらい思いをしないと生きていけないのだろうか…
と毎日のように思い悩んでいました
周りの同期は進学したり、大手企業や商社に就職していました
高校時代からの仲の良い友達たちは結婚ラッシュでした
みんながキラキラ輝いて見えました
大学院まで行ったのに「今は飲食店の店員です」なんてとても言えない…
という変なプライドがあって
同窓会や飲み会の誘いもすべて断っていました
というか、メールの誘いの連絡に返信しませんでした
断り自体は適当な理由をつければいいですが
「今なんの仕事してるの~」
などの世間話に発展するのが怖くて無視していました
生きるために一生懸命働いていること自体は悪くないと思う。
でも30歳近くにもなってこんな生活をしている今の自分が恥ずかしい。
生きている価値がないのでは…
という当時は本っっっ当につらい思いを抱えていました。
でも誰にも言えませんでした。
誰にも言えないから
毎日家でお酒を飲んで気持ちを紛らわせていました
飲食店だったので
あまったお酒をもらって仕事後に飲んでいたりもしました
このとき、社会人1年目、25か26歳のときです。
このときの経験から
「つらいことがあったらお酒を飲んでのりきる」
という習慣が完全に出来上がったのです。
そして、負のスパイラル期に突入します。
次回へ続く