見出し画像

本格ミステリとしての『名探偵津田』<水曜日のダウンタウン>

先日、水曜日のダウンタウンで待望の『名探偵津田』第3弾が放送されました。今回も上がり切ったハードルを見事に越えてくれる圧倒的な面白さでした。

第3弾の面白さは、やりすぎなくらいに張り巡らされた伏線にあります。収録スタジオからシームレスに事件が始まり、家族もフル活用しているだけでなく、遥か以前から仕込まれていた伏線の数々に、津田とみなみかわが戦慄していました。

お笑いの世界でも伏線があると良いとされるようになってからしばらく経ちますが、ここまで伏線を張りすぎると感心する以上に面白くなってきます。当人たちからしたら舌打ちしたくなる状況ですが、傍から見ていたら面白くて仕方ない。

ミステリとしては、犯人指摘の根拠が過去の人間関係に基づく脆弱な状況証拠しかないのですが、バラエティなのでどうこう言うのもお門違いなのかなと思います。あんまり難しい事件にしてしまったら、名探偵津田にも解決できなくなってしまいますから。

質的な話はともかく『名探偵津田』は津田の立場からしたら紛れもない「本格ミステリ」です。本格ミステリとは、事前に提示された証拠から論理的に真相を解き明かせるような構造になっている作品のことをいいます。代表的なものだと「読者への挑戦状」は本格ミステリの精神を体現するアイテムです。

『名探偵津田』では、津田が与えられた証拠から事件を解決できないと終了することができません。天才探偵がよくわからん推理を披露して事件を解決したり、いきなり犯人が出てきて訊かれもしないのに自白して終了することはありません。また、視聴者も津田と同じ証拠を見せられているので、同じように推理をすれば真相に到達することができます。だから『名探偵津田』は誤魔化しようのない「本格ミステリ」です。

津田とみなみかわが本格ミステリ的な視点を持って事件に挑んでいたわけではありませんが、推理をしているときの台詞で偶然にも二人は本格ミステリの本質的な問題に言及していました。それは「事件の容疑者は1の世界の住人に限られる」というものです。

「1の世界」「2の世界」は津田が独自に考案した用語です。「1の世界」はドラマの中の世界を指しています。この世界の住人は、自分たちの事件が収録されているとは思ってもいません。一方、「2の世界」は現実世界のことで、撮影スタッフやスタジオでVTRを観ている人たち、さらには視聴者を含みます。「1の世界」の住人は「2の世界」のことを知ることができませんが、津田だけは2つの世界を自在に行き来できるメタ認知を得ています。

すると、先ほどの台詞を推理小説の言葉で言い直すなら「事件の容疑者は作中で描かれた人物に限られる」ということになります。特に本格ミステリでは、真犯人は作中に描かれている人物の誰かでなければならず、どこかからいきなり現れた通り魔であってはならないという暗黙の了解があります。

しかし、それはメタ認知ができている人物にしかできない理解です。作中人物からすれば、作品に描かれている人物と描かれていない人物の境界はありません。通り魔が犯人であっても良いわけです。だから、探偵も本来は作中に描かれていない人物を容疑者から除外する論理を展開しなければいけません。

実際にこれを行っている作品もあります。エラリー・クイーンの国名シリーズでは、『ローマ帽子の秘密』で劇場、『フランス白粉の秘密』で百貨店、『アメリカ銃の秘密』でコロシアムを舞台にしており、いずれの作品でも数百人の一般人が容疑者から除外できる理由をきっちり論理的に説明しています。

一方で、推理作家からすれば、そんな推理は面倒でやりたくないのが本音です。読者にはメタ認知ができるので、どうせ作中で描かれた人物の誰かが犯人に違いないということがわかっています。だから「館もの」や「孤島もの」では、作中で描かれた人物以外が現場に近づけないような状況を作り、通り魔的な犯行を最初から完全に除外しています。

津田とみなみかわによる「事件の容疑者は1の世界の住人に限られる」という推理は、通常ならば禁じ手ではありますが、実際には推理作家も読者も自然と行っていることです。メタ認知ができる探偵ならではの推理法ではあるので、ミステリ的にも興味深い台詞でした。

それにしても、1の世界と2の世界で混乱する津田の有り様は本当に面白かったですね。混乱っぷりが見事でした。竹本健治の『匣の中の失楽』や『ウロボロスの偽書』を読めば、読者ながらも同様の体験をすることができます。興味がある方はぜひ。


いいなと思ったら応援しよう!