空に落ちた
初めまして、穂です。
私は来年、ピースボートというクルーズ船で世界一周をします。
3ヶ月半で約20ヶ国、横浜港〜横浜港までぐるっと回ってくる船旅です。
本当は、2020年の4月から行く予定でしたが、コロナの影響で出航停止。
そこから約9ヶ月、新しい出会いがあり、初めての環境に身を置き、自分には無い価値観に触れ、やりたい事ができて、変化と刺激に頭が追いついて行きません。
その事を“グルグルする”と表現します。
そして、グルグルしている私は一度自分の頭を整理しようと思い、このnoteを書き始めました。
このnoteは誰に見せる為でもありませんが、
文をまとめるのは苦手なので、今見てるあなたに喋りかけさせて貰います。
世界一周の船旅をすると言うと、よく、
「どこの国が1番楽しみ?」と聞かれます。
私は0歳でイギリス、5歳で韓国に行ったきりで外国の記憶がありません。
だから、アジア、ヨーロッパ、アフリカ、南米…どの国もとても楽しみです。
でも決まってこう答えます。
「太平洋と大西洋!」
国じゃないじゃんって思われます。
国じゃありません。
海です。
でも、空です。
ここで、高校生の時の話をしたいと思います。
私は高校2年生で、学校にあまりに行かなくなった時期がありました。
私の今までの人生やその時のことはまた今度お話するので、詳しく理由は書きませんが、一言でいうと“グルグルしていたから”です。
高校2年生の私は学校に行かず、ふらっと散歩をしたり、ギターを持って公園に行ったり、気が向いたら学校に行く、そんな毎日でした。
ちょうどその時期、私の親友もグルグルしていたみたいで、よく2人で授業をサボって遊びに行きました。
天気のいい日でした。
雲ひとつ無い空、過ごしやすい陽気。
学校で大人しく授業を受けなければいけない理由がひとつも見つからない、そんな天気のいい日でした。
私と親友は学校に行かず、最寄りの近くにある川に行きました。
私と親友がよく生きることについて語ったり、夜中まではしゃいだりする行き付けの川です。
歩道や家々のある所からは階段で20段程下がったくらいで、川の水からは階段で3段程上がったくらいの踊り場が私たちの定位置です。
ちなみに行き付けの川はここの他にあと2つあります。
その日もいつものように踊り場に座って、でも何かいつもと違う感じがして。
踊り場に座ったまま、2人とも一言も喋らない時間が続きました。
そのうち気がつくと、寝転んで空を見上げていて。
聞こえてくるのは川の流れる音、風で木の葉が擦れる音、自転車の音、鳥の声、たまに電車が通り過ぎる音。
視界には、いっぱいの青。
白も灰色も無い、いっぱいの青。
何にも侵されない純粋な青。
その時、私の寝転ぶ上、空高くを鳥が一羽、
飛んだ。
自分の腕で身体を支えて、力強く、あるがままに。
私の通う学校は「自由」だと言われる学校で、校則はほとんど無く、やりたいことは生徒達で話し合い要求として学校に出せば、真剣にそれが実現可能か考えてくれる。
自由という言葉の意味や、権利・義務とは何かを考えさせられ、自治を重んじる。
そんな学校でした。
私は小学校から12年間その学校に通いましたが、今でも大好きな学校です。
でも、空を翔ける鳥を見た時「自由」という言葉がもっと単純に、魅力的に思いました。
私も空を飛びたい。
高所恐怖症でない限り、誰もが一度は持ったことのある欲求なのかなと思います。
小さい頃から高いところが好きだった私は空を飛ぶことが夢のひとつでした。
そして、その鳥が電柱に止まった時、ある疑問が頭に浮かびました。
『 空ってどこからが空なんだろう?』
飛行機が飛んでいるのは空。
鳥が飛んでいるのも空。
じゃあ虫が飛んでいるのは?
風船が飛んでいく時、どこからが空に変わるんだろう?
考え始めると止まりませんでした。
宇宙は暗いのに、空は青くて、なんで地上は透明なんだろう?
空はどこから青くなるんだろう?
ここから富士山の山頂を見ると、空の中にあるように見える。
でも富士山の山頂に立ったらそこは空なんだろうか?
視界にはいっぱいの青。
「ここは、私が寝転んでいるここは、
空なんだろうか?」
その瞬間、空に落ちた。
「空に落ちた」
その表現で伝わるのか分かりませんが、吸い込まれたでも、飛んだでもなく、重力が無くなって、宇宙まで落ちていくような感覚。
空と自分のいる所の境目が分からなくなった瞬間でした。
この時から私にとって空は特別な存在になったように思います。
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