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やりたいことやるべきこと

「好きなことを仕事にすべきだ。」「趣味を仕事にしよう。」
そんな言葉をよく耳にするし、リクルート関連のWebサイトでも語られることが多い。
この言葉だけを見ればとても幸せなことだろうと羨ましくも思うのだが、私はこの言葉に違和感を感じるのである。
好きなことを仕事にするために、あれやこれやと頭を使うことが果たして幸せであるのだろうか。

自分の「やりたい」を汚したくない

「やりたいこと」とはどんなものなのか考えてみる。
私のやりたいことには、現在行っている執筆はもちろん、ゲームをしたり、サウナに行ったり、ビールを飲んだり、近所を散歩することが含まれるだろう。
これらに共通しているのは、「お金や時間に追われず、そのときの気持ちのまま素直に行えること」である。
これが私の思う「やりたいこと」になるだろう。
これらを続けていてもお金にもならないし、端から見れば時間の無駄だと言われることかもしれない。
それでもやりたいと思えているということは、心の底から幸福を感じ、何者にも変えられない価値を感じているからだと実感している。
だからこそ、お金のためにだとか、いつまでに仕上げなきゃと言った雑念を入れずに、やれるときに好きなだけやれることとしておくことが、自分の好きなものへの気持ちを汚さずにいられる。

理想は「気がついたら仕事になっていた」

やりたいことを続けていた結果、それが仕事となるケースはあるだろう。
この場合はなんとも幸せなことだ。
やりたいことを続けていた結果、知らぬ間に人の目に止まり、それが金銭や他者からの評価という価値を生むことになれば、仕事になることもあるだろう。
偉そうに述べているが、完全に割り切っていくことはなかなか難しいだろう。
私自身、多少なりともやりたいことがお金になれば良いなと考えてしまうこともある。
しかし、「やりたいこと」を「やるべきこと」にしないように、自分の気持ちを第一にすることは忘れてはいない。
「もしかしてこれは仕事になっているのでは。」
と、気づかないうちに仕事になっているくらいがちょうど良さそうだ。

果たして自分の「やりたいこと」をやれているのだろうか。
単に仕事として「やるべきこと」になっていないだろうか。

私はエッセイを書くということが好きで、まだ文章として仕上げていないものもいくつかある。
人に読んでもらえて、読んだ人の心になにか引っかかってくれたらそれで嬉しいと感じる。
これが万が一にも仕事となったとき、私はどんな気持ちを持つのだろうか。

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