私の原点とこれから
1995年6月19日、北海道札幌で生まれました。たしか札幌の南区にある病院だったと聞いています。その後、千歳市へ引っ越しました。幼少期の私はとにかく好奇心が旺盛で、興味を持ったことにはすぐに飛び込んでいくタイプでした。小学1年生の頃からやっていた公文式では、桜井先生に泣かされたり、本をたくさん読まされたりするうちに、「自分から興味を持ったらどんどんやってみよう」「挑戦することは面白い」という考え方が自然と身に付いていきました。今思えば、当時は学ぶことも遊びの延長のように感じていて、そこから先の人生観のベースができた気がします。
一方で、負けず嫌いという面もありました。せっかく取り組むのであれば結果を出したい、という思いが強く、小学校の学芸会やスポーツの大会であっても全力で向き合ってしまうので、周りからは「極端だね」と言われることが多かったです。でも自分としては、中途半端にやるよりも本気でやったほうが面白いし、やりきった時の達成感も大きいと感じていました。
中学受験では、札幌の郊外にある男子校・北嶺中高等学校に進学しました。自然に囲まれた山奥の学校で、カメムシとメガネのガリ勉しかいない青春でした。6年間ずっと男子しかいない環境ということもあって、当初は窮屈に感じたり、まるで刑務所のようだと感じたりしていましたが、その分友人同士の仲は深く、バカなことも全力でやる仲間に恵まれました。学業面では優秀な同級生が多く、彼らの中には東大や医学部へ進むのが当たり前というような空気があり、周囲を見渡すとみんなかなり勉強熱心でした。それでも私は、あまりにも勉強づけの毎日を送る友人たちを見て「人生、楽しんでるのかな」と思うことがしょっちゅうでした。
私はと言うと、当時PSPのウイイレに夢中で、ほぼゲーム三昧。それでも好きなラグビー部の活動には本気で打ち込み、弱小チームながら北海道東北大会に出場したり、新人戦に出たりといった経験は今でも貴重な思い出です。体格や技術では勝てなくても、粘り強さやチームワークの重要さを学びましたし、勝てないなりに戦略を工夫する楽しさを体験できたことは大きかったです。
そんな私でしたが、結果的に同志社大学経済学部に指定校推薦で進学しました。同期には本当に膨大な時間を勉強に費やしている友人が多く、彼らが6年間で延べ3,000時間以上勉強していたのに対して、私は6年合計でも100時間もしていないんじゃないかと思うほど。もちろん苦労したこともありますが、「最低限の目標が達成できれば、効率的にやったほうがいいんじゃないか」「要領よくやればいいんじゃないか」という気持ちが強く、中高時代を過ごしていました。ある意味、“要領の良さ”に自信を持っていたからこそ、部活や遊びにも十分な時間を割けたのかもしれません。
こうして振り返ると、幼いころから試行錯誤しながら好きなことに夢中になりつつ、周りに合わせるよりは自分の興味を優先して動いてきたように思います。それが吉と出ることもあれば、周りと衝突することもありましたが、どちらにせよ「まずはやってみる」「やると決めたら全力で」というスタンスが、私なりの原点なのだと改めて感じています。
今日はここまで。続きは次回以降で。