【15分で読める】芥川龍之介『地獄変』縮約版(あらすじ、要約より長い)
あらすじでもなく、要約でもなく、話をぎゅっとしぼりこんだ縮約版を書きました。時代背景を考慮した注解も付けました。この縮約版を注解とともに読めば、原作の理解を深める助けになると思います。原作未読の方も既読の方もぜひご利用ください。
読むときの注意点は、語り手が語っていることが、事実なのか、私見なのか、噂などの伝聞なのかを区別することです。『地獄変』の解説やあらすじには、この区別をせずに解釈しているものがよくみられます。
今後ちょこちょこ修正すると思います。
最終更新日 2022年12月17日
本文
大殿様のおそばにおつかえして20年。その間、大殿様には後々まで語られるような出来事が沢山ありました。
大殿様がなさることは、私ども凡人には考えが及ばない、思いきったところがありました。また、ご自分ばかりがお栄えになるのではなく、下々のことまでもお考えになられる器量をお持ちでした。京の人々は、大殿様のことを、人の姿で現れた神か仏であるかのように尊んでおりました。
様々な出来事のなかで、今ではお家の宝となっている地獄変(*1)の屏風絵の由来ほど恐ろしいものはございません。あのときは大殿様でさえも大変お驚きになられました。このお話をするには、まず、良秀という絵師について語らねばなりません。
当時の良秀は、右に出るものは一人もいないといわれるほどの名高い絵師でした。歳は50にもなったころでしょうか。背が低く、骨と皮ばかりの痩せた意地の悪そうな老人でした。評判は悪く、誰からも嫌われていました。というのも、人柄が卑しく、偉そうにして人を見下していたからです。
そんな良秀でも十五になる娘のことはとても可愛がっていました。優しく、親思いで、母親を早くに亡くしたせいか、しっかりとした利口な娘でした。
良秀の娘は、大殿様のご意向で小女房(*2)としてお邸にあがっていました(*3)。良秀はそのことに不服で、しばらくは、大殿様の前に出ると苦々しい顔をしていました。そんな様子を見たものが勝手な想像をしたのでしょう、娘の美しさに心を引かれた大殿様が親の不承知にもかかわらず娘を召し上げたと噂になりました。その噂は嘘ですが、良秀は子煩悩なため、娘が下がる(*4)ことをいつも祈っていました。
良秀の娘は、何かと良く気がつくものですから御台様(*5)を始めほかの女房たちにも、可愛がられていたようです。
人によくなれた猿を一匹献上したものがおりまして、いたずら盛りの若殿様がその猿を良秀と名付けました。お邸の皆のものは、良秀良秀と呼んでは猿をいじめたがりました。
若殿様が、むちを持って「みかんの盗人、待て」と猿を追いたてていたときのことです。良秀の娘は、若殿様に猿を勘弁するようお願いしました。さらに、父が折檻されているように思えるので許してあげて欲しいと付け加えました。若殿様は、父親の命乞いなら仕方ないとお許しなさいました。
それからというもの、良秀の娘と猿は仲良くなりました。猿は常に娘のそばにいて離れません。こうなると妙なもので誰も猿をいじめなくなりました。大殿様は、親孝行なやつだといって良秀の娘をひいきし、紅の袙(*6)を褒美として与えました。
もとより利口な女ですから、ほかの女房から妬まれるようなことはありません(*7)。それ以来、猿と一緒に何かと可愛がられ、とりわけ、お姫様のお側から離れたことはないといっても良いくらいでした。
良秀の絵の出来映えに満足した大殿様が褒美をとらせようとしたときのことです。何が欲しいかを尋ねられた良秀は、ぶしつけなことに「娘をお下げください」と答えたのです。大殿様は「それはならぬ」とおっしゃいました。そのあとにも同じようなことが何度かあり、大殿様が良秀を見る目は次第に冷ややかになっていったようです。娘の方は、父親の身が心配なのでしょうか、部屋に下がっては、よく袖をかんで、しくしく泣いていました。大殿様が娘に恋心を抱いているとの噂が立ちましたが、そんなことはありえません。ただ、気立ての優しいあの娘をひいきなさったことは間違いのないことです。
あるとき、大殿様は良秀を呼びつけて地獄変の屏風絵を描くよう言いつけました。それから五、六ヶ月、良秀はお邸に伺うこともせずに熱心に描きました。弟子を鎖で縛り、その姿を描いたり、また、別の弟子をミミズクに襲わせて逃げ惑う様子を描いたりしました。
冬の末、良秀は一層陰気になり、物言いも荒々しくなりました。下絵が八割がたできたところから先に進まず、どうかすると塗り消してしまいかねない様子でした。その理由を知るものはおりません。弟子たちは今までに散々な目にあわせられたので良秀を避けていたからです。また、あの良秀が、なぜか妙に涙もろくなり、人のいないところで時々泣いていたそうです。思うように描けないからといって泣きだすとはおかしなことではないですか。
その一方で、良秀の娘の方でも、なぜかだんだんと気がふさぎ、涙をこらえている様子が目につくようになりました。その理由について色々な噂がありました。大殿様が自分のいうことをきかせようとしてるとの評判が立つと誰も娘のことを噂にしなくなりました。
ちょうどその頃、夜がふけてからお邸の廊下を歩いていると近くの部屋で人が争っているような気配がしました。狼藉者であれば目にもの見せてやろうと、近づいて戸を開け、月明かりの届かない奥へと踏み込もうとしました。そのとき目を遮ったものは──いや、それよりも、弾かれたように駆け出してきた女に驚かされました。女は息を切らし、恐ろしいものを見るかのように私の顔を見ました。それは、良秀の娘でした。あわただしく逃げていくもう一人を指差してあれは誰かと尋ねました(*8)。しかし、娘は唇をかみながら黙って首を振り、答えませんでした。私は見てはいけないものを見たような不安な気持ちになりました。
半月ほどして、良秀は大殿様に会いに来ました。絵はほとんど完成しているが一ヶ所どうしても描けないところがあるというのです。その理由を良秀は言いました。
「枇榔毛の車(*9)が燃えながら空から降りてくるところを描こうと思っております。車には煙にむせて苦しむ美しい上臈(*10)が乗っています。その女性が描けません。私は総じて見たものしか描けません。車を燃やして見せてください。そして、もし、できることなら...」
大殿様は一瞬顔を暗くなさいましたが、お笑いになって、おっしゃいました。
「その願い、かなえてやる。車に火をかけてやろう。女ものせてやろう。心配するな。すべてお前の望むようにしてやる。車のなかで女が悶え死ぬ、それを描こうとはさすがじゃ(*11)。褒めてとらすぞ」
良秀はそれを聞いて色を失い唇を震わせて小さな低い声で礼を述べました。自分の考えを大殿様に言われて今さら怖くなったのでしょう。
それから二三日した夜、準備が整いました。場所は、大殿様の妹君が以前お使いになられていた山荘です。妹君はすでに亡く、誰も住んでいない寂しく気味の悪い場所でした。
大殿様は良秀に言いました。
「望み通り車に火をかけてやる。炎熱地獄を見せてやるぞ。車の中には罪人の女を乗せてある。雪のような肌が燃えて、ただれるのを見逃すな。黒髪が火の粉になり、舞い上がるさまも良く見ておけ。絵の良い手本となるぞ」
大殿様がお命じになると車の簾があがりました。そこにいたのは、きらびやかな格好をし、鎖にかけられた女でした。身なりは違っていましたが間違いなく良秀の娘でした。良秀は驚き、両手を前に伸ばし、車に向かって飛び出そうとしました。ですが、刀の柄に手をかけた侍が立ちはだかっていました。
すぐに大殿様は火をかけるようにお命じになり、車は燃え上がりました。火がつくと良秀は足を止め、手を車へ伸ばしたまま、苦しそうな顔をして炎を眺めていました。その表情は凄まじく、怪力の侍でさえ色を失うほどでした。大殿様は時々気味悪くお笑いになり、じっと車をお見つめになられていました。私には、その時の車のなかのむごたらしい娘の姿を申す勇気はございません。
燃えさかる車のなかへ何か黒いものが飛び込みました。私たちは、あっと叫びました。良秀と名付けられた猿が娘の肩にすがり、苦しそうに鋭い声を発しました。猿の姿が見えたのは一瞬のことで、車は燃えて火の柱となり、車のなかは黒い煙の底に隠されてしまいました。
火を前にして良秀は立ち、両腕をしっかりと組んで火の柱を見つめました。顔には、言い様のない輝きが、まるで恍惚とした法悦(*12)の輝きが浮かんでいました。人間とは思えない、獅子王の怒りのような怪しい厳かさがあり、威厳が円光(*13)となって頭にかかっているかのようでした。皆、息をひそめ、随喜(*14)の心に満ちて、仏でも見ているかのように目を離さず良秀を見つめました。ただ一人、大殿様だけは、別人のように顔が青くなり、口から泡を吹き、まるで獣のように喘いでいました。
この出来事が世間に漏れると、世間では批判の声が上がり色々と噂となりました。一番多かったのが叶わぬ恋が原因だろうとの噂でした。しかし、大殿様のお考えは、絵のために娘を犠牲にしようとした良秀をこらしめるためだったに違いありません(*15)。というのも、大殿様みずからそうおっしゃっていたからです。
また、目の前で自分の娘を焼き殺されながらも絵を描いた良秀への批判もありました。横川の僧都(*16)はその批判に味方して「絵の才能に優れていても、そんなことをしては地獄に落ちるほかあるまい」と良くおっしゃっていました。
ひと月ほどして、良秀が完成した絵をお邸に持ってきました。そこには良秀を批判していた僧侶もいました。良秀を見ると苦い顔をしてにらんでいたのですが、絵を見ると膝を打ち、「でかしおった」とおっしゃいました。それを聞いた大殿様は苦笑いをなさいました。
それからというもの、良秀を悪く言うものは、少なくともお邸にはほとんどいなくなりました。地獄変の屏風絵を見たものは、いかに良秀を憎んでいても、厳かな気持ちにさせられ炎熱地獄の苦しみを感じるからでございましょう。ただ、そうなった頃には良秀はこの世の人ではなくなっていました。良秀は、地獄変の屏風絵を渡したあと自分の部屋で首を吊ったのです(*17)。
良秀の死骸は今でもあの男の家の跡に埋まっています(*18)。小さな石が、誰の墓か分からないように苔だらけになっているに違いありません。
おわり
読書上の注意と良くある誤解
以下の記事に読書上の注意と良くある誤解をまとめました。ただし、色眼鏡を通した既存のレッテル貼りした解釈(芸術至上主義など)には従っていないことを書いているのでご注意ください。