私訳『竹取物語』第2章|読み物としての現代語訳
第2章 かぐや姫、言い寄られる
([*数] は訳注があることを示す)
男たちは、人が行きそうにもない所まで歩きまわったが、何も得られはしなかった。家の使用人たちに何か言おうと声を掛けても、相手にさえされない。
家のそばを離れない貴公子たちは、そこで夜を明かし日を暮らす者が多かった。しかし、強い思いがなかった者は「ただ歩きまわっていても、つまらない」と思うようになり、来なくなっていった。
そんななか、色好みと評判の五人だけは言い寄り続け、思いが止むことなく夜も昼も家に訪れた。
【色好み】現代と異なり、恋愛の情趣を良くわかった粋な人という意味合い
その五人の名は、
石作の皇子、
車持の皇子、
右大臣 阿倍のみうし、
大納言 大伴のみゆき、
中納言 石上のまろたり、
である。[*1]
*1 五人の名前の表記は、本によって異なる。
この人たちは、少しでも容姿が良いとの評判を聞くと、この世に同じ程度の女性がいくらでもいるのに、妻にしたがるほどであった。まして、かぐや姫を妻にしたい思いとなれば、食欲が失せてしまうほどであった。
家に行き、周囲をぶらついていても進展はない。そこで、恋文を書いて送ってみたが[*2]、返事は来ない。嘆き悲しむ気持ちを詠った和歌などを送ってみたが、それでも返事はなかった。
*2 当時は、恋しい気持ちを詠った和歌を手紙に書いて送った。平安時代の求婚の段階が踏まれている。「噂で知る」「垣間見る」、その次が「(恋文として)和歌を送る」
無駄だとわかっているのに、霜月・師走に雪が降り氷が張るにも構わず、水無月に日差しが照り雷鳴がとどろくにも構わず、家を訪れ続けた。
【霜月】旧暦の11月。現在の11月下旬~1月上旬頃(ひと月は29日か30日だが、年によって新暦とのずれが異なる)
【師走】旧暦の12月。現在の12月下旬~2月上旬頃(ひと月は29日か30日だが、年によって新暦とのずれが異なる)
【水無月】旧暦の6月。現在の6月下旬~8月上旬頃(ひと月は29日か30日だが、年によって新暦とのずれが異なる)
あるとき、竹取の翁を呼び出し、「私に娘をください」と言って、頭を下げ手を合わせた。しかし、翁は「自分が儲けた子ではないので、思うようにはならないのです」と返し、やり過ごした。
そんなありさまなので、この人たちは自分の家に帰り、物思いにふけると、神仏に頼り祈願した。思いは止むはずがない。「そう言ってはいても、いつまでも結婚させないわけがない」との期待を抱き、また家を訪れ、思いを見せつけるように周辺を歩きまわった。
おまけ 残った五人について
最後まで残った五人についてのWikipediaへのリンク集です。
【】の名称は、この私訳での表記。
【石作の皇子】
石作皇子
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BD%9C%E7%9A%87%E5%AD%90
【車持の皇子】
車持皇子
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8A%E6%8C%81%E7%9A%87%E5%AD%90
【阿倍のみうし】
阿倍御主人
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E5%80%8D%E5%BE%A1%E4%B8%BB%E4%BA%BA
名前のもとと考えられる実在の人物。
壬申の乱において大海人皇子(天武天皇)側についた。
【大伴のみゆき】
大伴御行
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BC%B4%E5%BE%A1%E8%A1%8C
名前のもとと考えられる実在の人物。
壬申の乱において大海人皇子(天武天皇)側についた。
【石上のまろたり】
石上麻呂
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%B8%8A%E9%BA%BB%E5%91%82
名前のもとと考えられる実在の人物。
壬申の乱において大友皇子(弘文天皇)側についた。