20分で読める 芥川龍之介『羅生門』全訳 現代語訳(令和版)
芥川龍之介の小説『羅生門』を読みやすく現代語訳したので公開します。20分程度で翻訳本文(全訳)が読めます。お急ぎの方は目次から「翻訳本文」へ飛んでください。背景知識の参考として付録も付けています。
翻訳方針(読み飛ばしてOK)
・用語説明は注釈として書く。説明的な文章にはしない。
・読みやすい日本語の文章にすることを優先する。そのために次のことをして良いものとする:言葉の順序を入れ替える、言葉を多少補う、冗長な言葉を削る、簡単な表現に置き換える、文の区切りを変える
・フランス語を用いた部分も翻訳する
・「死人」と「死骸」の表記の違いを維持する。
・「蟋蟀」は平仮名で「きりぎりす」と表記する。
・「梯子」は「階段」とする。古くは階段状のものでも梯子と表記したが、分かりやすく階段にする。
・「棄てる」は「捨てる」に置き換えない。死体遺棄の棄の意味を残す。
・その他、翻訳上の細々としたことについて。「夜を明かそう」は一般的には徹夜しようとの意味となり、文脈上少し不自然なので「夜を過ごそう」に言い換えた。「黒洞洞」は難しい言葉だが大切なので、読みやすくする方針に反してそのままとする。時刻に「申の刻」と当時の時刻が使われている一方で時間の単位の「分」と思われる「一分」「何分」が使われていて統一されていないがそのままにする。「天井裏」は文脈をふまえて「天井」とする。
舞台
時代
平安時代。
場所
京都の羅生門。朱雀大路にある。京都の平安京に実在した羅城門がもとになっている。
この羅城門は、かつて羅生門とも表記されていたことがあり、この小説でも羅生門の表記を用いている。芥川の小説よりも前に、謡曲『羅生門』(羅生門の鬼を退治する話を扱っている)が有名。羅城門には鬼がいるという伝承がある(「羅生門の鬼」または「羅城門の鬼」でネット検索して調べてみてください)ということを芥川の『羅生門』の背景知識として頭の片隅に入れて読むことをオススメします。
季節
作中で、夕冷えがして火桶が欲しいくらい寒くなってきたという説明があるので秋の終わりのころでしょう。
登場人物
登場するのは二人だけ。
下人(げにん)
主人公の名前は明かされず、主人公を指して「下人」と呼称している。主人公は名前以外についても何者か不明だが、聖柄(ひじりづか)の太刀を所持し、紺の襖(あお)を着ている。年齢も不明だが、短い髭があり、右の頬にニキビがあるので、若い男と推定される。
この小説では、「下人」という言葉を、身分の低い人物であり、また、主人に仕えている人物のこととして使っているとみられる。
老婆(ろうば)
詳細不明。下人が羅生門で会うことになる白髪の老人。どのような人物かの手がかりとなる情報は、檜皮(ひわだ)色の服を着ていることぐらい。
お断り
公開後も見直してちょこちょこ修正すると思います。もし、明らかな間違いがありましたら、コメントで連絡していただけると助かります。
ふりがなは、明確な方針もなく中途半端に付けています。全部付けたいところなのですが、かなり大変なのでご容赦ください。
翻訳本文(独自の章分け付き)
1. 雨宿り
ある日の夕暮れのことである。一人の下人が羅生門の下で雨が止むのを待っていた。
広い門の下には、この男のほかに誰もいない。ただ、ところどころ丹塗りの剥げた大きな円柱に、きりぎりすが一匹とまっているだけである。羅生門が朱雀大路にあることからすれば、この男のほかに、市女笠の女や、揉烏帽子の男が、もう二、三人は雨宿りをしていそうなものである。それが、この男のほかには誰もいない。
実は、京都では、ここ二、三年、地震、つむじ風、火事、飢饉といった災いが続き、洛中は、とてつもなくさびれていたのである。旧記によれば、仏像や仏具が打ち砕かれ、丹が付いていたり金銀の箔が付いていたりする木が道ばたに積み重ねられて薪にするために売られていたとのことである。洛中がそのようなありさまでは、羅生門の修繕などを気にする者がいるはずもなかった。すると、その荒れ果てたのをよいことに、狐狸が棲み、盗人が棲み、とうとうしまいには、引き取り手のない死人をこの門に持ってきて棄てていくという習慣さえできた。そうして、日が沈むと誰もが気味悪がり、この門のそばに近寄らなくなってしまったのである。
その代わりに、どこからともなく烏がたくさん集まってきた。昼間には、そのたくさんの烏が鳴きながら、高い屋根につけられた鴟尾のまわりを円を描いて飛んでいた。門の上空が夕焼けで赤くなると、胡麻を撒いたかのように、それがとくにはっきりと見えるのであった。いうまでもなく、烏が来るのは門の上に棄てられた死人の肉をついばむためである。――もっとも今は、遅い時間のせいか、一羽も見えない。ただ、石段の上に烏の糞が点々と白くこびりついているのが見える。石段は、ところどころ崩れかかっていて、崩れ目から長い草を生やしていた。下人は七段ある石段の一番上の段に洗いざらした紺の襖の尻を乗せ、右の頬にできた大きなにきびを気にしながら、ぼんやりと雨が降るのを眺めていた。
さきほど「下人は雨が止むのを待っていた」と述べたが、雨が止んだところで、下人には、特に何かをしようというあてはなかった。普段であれば、当然、主人の家に帰らなければならない。ところが、その主人から、四、五日前に暇を出されていたのである。すでに説明したように、当時、京都の町はひどくさびれていた。下人が長い年月仕えていた主人から暇を出されたのも、実はそのことが影響していたのである。だから、「下人は雨が止むのを待っていた」というよりも、「雨に降られた下人は行き場がなく途方にくれていた」という方が適切である。さらに、その日の空模様も、少なからず下人の感傷的な気分に影響を与えていた。申の刻を過ぎてから降り出した雨は、いまだにあがる気配がない。そこで下人は、何をおいてもまずは明日の暮らしをどうにかしようとして――いわば、どうにもならないことをどうにかしようとして、とりとめもない考えを巡らせていた。そうしながら、朱雀大路に降り続く雨の音を、意識することなしに聞いていたのである。
雨は、羅生門を包み、遠くから、ざあっという音を集めてくる。見上げると、しだいに夕闇は空を低くし、門の屋根が、斜めに突き出した屋根瓦の先で重たくうす暗い雲を支えている。
どうにもならないことをどうにかするには手段を選んでいる余裕はない。選んでいたら、築土の下か、道ばたの土の上で、飢え死にしてしまう。そして、この門の上へ運ばれて犬のように棄てられることになるのだ。選ばないとすれば――下人は、堂々巡りをしたあげく、ようやくそこへ行き着いた。しかし、「すれば」は、いつまでたっても、結局は「すれば」であった。下人は手段を選ばないことを肯定しながらも、この「すれば」にかたをつけるために当然あとに続く「盗人になるよりほかに仕方がない」ことについて、積極的に肯定するだけの勇気が出なかった。
下人は大きなくしゃみをすると億劫そうに立ち上がった。夕冷えのする京都は、もう火桶が欲しいほどの寒さである。風は門の柱と柱の間を夕闇と共に遠慮なく吹き抜ける。丹塗りの柱にとまっていたきりぎりすも、もうどこかへ行ってしまった。
下人は首を縮め、山吹の汗袗の上に着ている紺の襖の肩を高くしながら、門のまわりを見まわした。雨や風の心配がなく、それでいて人目を気にせずに一晩楽に寝られそうな場所があれば、ともかくそこで夜を過ごそうと思ったからである。すると、幸いなことに、門の上の楼へ上がる階段が目に入った。それは、丹が塗られた幅の広い階段である。どうせ上にいるのは死人だけだと思った下人は、腰にさげた聖柄の太刀が鞘走らないように気をつけながら、藁草履をはいた足でその階段の一番下の段を踏もうとした。
2. 門の上
それから何分か後のことである。羅生門の楼へ上がる幅の広い階段の中段で、一人の男が猫のように身を縮め、息を殺しながら上の様子をうかがっていた。楼のなかから灯火の光が差し込み、その男の右の頬をかすかに照らしている。短い髭の中で赤く膿を持ったにきびのある頬である。下人は、はなから、この上にいる者は死人だけだとたかをくくっていた。それが、階段を二、三段上がってみると、上では誰かが火を灯し、しかも、その火をあちこち動かしているようだった。隅々に蜘蛛の巣がかかった天井に、その濁った黄色い光が揺れながら映ったので、すぐにそのことに気がついた。こんな雨の夜に、この羅生門の上で、火を灯しているからには、きっと、ただ者ではない。
下人は守宮みたいに這うようにして、足音を立てずに急な階段を上り、一番上の段にたどり着いた。そして、体をできるだけ伏せながら、首をできるだけ前へ出し、恐る恐る楼のなかを覗いてみた。
見ると、楼のなかには噂に聞いていたとおり、いくつもの死骸が無造作に棄ててある。灯火の光が届く範囲は思ったよりも狭く、その数がどのくらいあるのかは分からない。ただ、おぼろげながらに分かることは、その中に裸の死骸と着物を着た死骸があるということである。もちろん、そこには女も男も混じっているようだ。その死骸のどれもが、かつて生きていた人間であったという事実さえも疑わしくなるほどである。土をこねて作った人形のように、口が開いていたり手を伸ばしていたりして、ごろごろと床の上にころがっていた。しかも、肩とか胸とかの高くなっている部分が、ぼんやりした灯火の光を受けて、低くなっている部分の影をさらに暗くしていた。死骸は、永久に唖のごとく黙っている。
それらの死骸がただれて腐った臭いに、下人は思わず鼻をおおった。しかし、その手は、次の瞬間には、もう鼻をおおうのを忘れていた。ある強い感情が、この男から嗅覚のほとんどすべてを奪ってしまったからである。
そのとき、下人の目に映ったのは死骸の中でうずくまっている人間であった。檜皮色の着物を着た、背の低い、痩せた、白髪頭の、猿のような老婆である。老婆は、右の手に火のついた松の木切れを持ち、ある死骸の顔を覗きこむように眺めていた。その死骸は、髪の毛が長いことから、おそらく女であろう。
下人は好奇心と恐怖心が六対四で合わさった心に動かされ、いっときは呼吸するのさえ忘れた。旧記の記者の言葉を借りれば、「頭身の毛も太る」ように感じたのである。老婆は、松の木切れを床板の間に挿し、それから、今まで眺めていた死骸の首に両手をかけると、まるで猿の親が子の虱を取るかのように、その長い髪の毛を一本ずつ抜きはじめた。髪は手の動きに従って抜けていくようだ。
その髪の毛が一本ずつ抜けていくたびに、下人から恐怖心が少しずつ消えていった。それと同時に、この老婆に対する激しい憎悪が少しずつ増していくのであった。――いや、「この老婆に対する」というのは適切でないかもしれない。というのも、あらゆる悪に対する反感が、一分毎に強さを増していったのである。もし、さきほど門の下で考えていた「飢え死にするか盗人になるか」という問題を誰かに改めて問われたとしたら、恐らく、下人は何の未練もなく餓え死にを選ぶだろう。この男がそれほどまでに悪を憎む心は、老婆が床に挿した松の木切れのような勢いで燃え上がり出していたのである。
当然、下人には、なぜ老婆が死人の髪の毛を抜くのか分からない。したがって、それが善なのか悪なのか合理的な判断を下すことはできない。しかし、下人にとって、この雨の夜に、この羅生門の上で、死人の髪の毛を抜くという行為は、すでにそれだけで許すべきでない悪であった。もちろん、さきほどまで自分が盗人になる気でいたことなど、とっくに忘れていた。
3. 老婆
下人は両足に力を入れると階段から上へと飛び上がり、聖柄の太刀に手をかけながら大股で歩いて、老婆の前に近寄った。老婆が驚いたのはいうまでもない。
老婆は下人を一目見ると、まるで弩にでも弾かれたように飛び上がり、死骸につまずきながら慌てふためいて逃げようとする。
「おのれ、どこへ行く」
下人は老婆の行く手を塞ぎ、荒々しい声を出した。それでも老婆は下人を押しのけて行こうとする。それを下人は行かせないように押しもどす。しばらくの間、二人は無言のまま死骸の中でつかみ合いをした。しかし、勝敗は始めから分かりきっている。ついに、下人は老婆の腕をつかんで、ねじ伏せた。その腕は、まるで鶏の脚のように骨と皮ばかりであった。
「何をしていた。言え。言わないと、これだぞ」
下人は老婆を突き放すと、いきなり太刀の鞘を払って白い鋼色をその目の前につきつけた。けれども、老婆は黙っている。両手をわなわな震わせて、肩で息を切りながら、眼球が飛び出してしまいそうなくらい目を見開き、かたくなに唖のように黙っている。このとき下人は、この老婆の生死が完全に自分の手の中にあることをはっきりと意識した。この意識は今まで激しく燃えていた憎悪の心をいつの間にか冷ましてしまった。後に残ったのは、ある仕事をしてそれを円満に成しとげたときに感じる安らかな得意と満足だけであった。そこで下人は老婆を見下ろしながら少し声を柔らかくして、こう言った。
「俺は検非違使の庁の役人などではない。今さっき、この門の下を通りかかった旅の者だ。だから、お前に縄をかけてどうにかするようなこともない。ただ、こんな時間に、この門の上で、何をしていたのか、それを俺に話しさえすればいい」
すると、老婆は見開いていた目をさらに大きくし、じっと下人の顔を見つめた。目が赤くなった肉食鳥のような鋭い眼で見たのである。それから、皺でほとんど鼻と一つになった唇を、何か物でも噛んでいるかのように動かした。尖った喉仏が細い喉で動いているのが見える。そのとき、その喉から烏が鳴くような声がして、あえぎあえぎ話す声が下人の耳に届いた。
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、鬘にしようと思ったんじゃ」
下人は老婆の答えが意外に平凡であることに失望した。失望と同時に再び憎悪が、冷やかな侮蔑を伴なって、心の中で生まれた。その気持ちが届いたのか、老婆は、口ごもりながら、蟇蛙がつぶやいたかのような声を出し、死骸の頭から抜いて奪った長い毛を片手に持ったまま、こんなことを言った。
「たしかに、死人の髪の毛を抜くことはいくらか悪いことかも知れない。だがな、ここにいる死人どもは、皆、そのくらいのことをされてもいい人間ばかりじゃ。わしが今、髪を抜いた女は、蛇を四寸ぐらいずつに切って干したものを、干し魚と偽って、太刀帯の陣へ売りに行ってたんじゃ。疫病みにかかって死んでなかったら、今でも売りに行ってただろう。しかも、この女の売る干し魚は味がよいといって、太刀帯どもは欠かさずおかずに買っていたそうだ。わしは、この女のしたことが悪いとは思わない。そうしなければ餓死するのだから仕方なくしたことだろう。だから、わしが今していたことも悪いこととは思わない。これだって、やはり、しなければ餓死するのだから、仕方なくすることだ。だから、その仕方がないことをよく知っていたこの女は、大方わしのすることも大目に見てくれるだろう」
老婆は大体こんな意味のことを言った。
4. 勇気
下人は太刀を鞘におさめ、太刀の柄を左の手でおさえながら、この話を冷静に聞いていた。右の手では、もちろん、頬にある赤く膿を持った大きなにきびを気にしながら、聞いていた。しかし、これを聞いているうちに、下人の心には、ある勇気が生まれた。それは、さきほど、門の下でこの男に欠けていた勇気である。それはまた、門の上へ上がってこの老婆を捕まえた時の勇気とは、全く反対の方向に向かう勇気である。下人は餓死するか盗人になるかについて迷わなかった。それだけではない。その時のこの男の心持ちからいえば、餓死などということは、ほとんど考えることさえできないほどに意識の外にあった。
「それは確かか」
老婆が話し終えると、下人は嘲るような声で念を押した。それから、一歩前へ出ると、不意に右の手をにきびから離し、老婆の襟髪をつかみながら噛みつくようにこう言った。
「では、おれが引剥ぎをしても恨みはしないな。おれもそうしなければ餓え死ぬ身なのだ」
下人は、すばやく老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を死骸の上に手荒く蹴り倒した。階段までは、わずかに五歩を数えるだけである。下人は老婆から剥ぎとった檜皮色の着物をわきにかかえ、あっという間に夜の底へと急な階段を駆け下りた。
しばらく死んだように倒れていた老婆が死骸の中から裸の体を起こしたのは、それから間もなくのことである。老婆は、つぶやくような、うめくような声を出しながら、まだ燃えている灯火の光をたよりに、階段のところまで這って行った。そして、そこから短い白髪をたらし、門の下を覗きこんだ。外にあるのは、ただ、黒洞洞とした夜である。
下人の行方は、誰も知らない。
おわり
出典
以下を出典として現代語訳をした。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/127_15260.html
1997年10月29日公開
2022年7月16日修正
参考 個人的おすすめ鑑賞方法
『羅生門』というと、下人の心情の変化だとか、善悪についてとか、倫理だとか、エゴイズムがどうのこうのとか言われてますが、そんな小難しいことを考えずに、作者の遊び心(たぶん)に着目して読んでみませんか?何かというと、この小説に様々な生き物が出てくることに着目して読んでみることです。
最初はキリギリス。次はカラス。で、キツネとタヌキもこっそり出てくる。そして、下人は、もし餓死したらイヌ扱いとなる。階段ではネコとなりヤモリとなる。門の上へ上がってみるとクモの巣だらけ。サルみたいな老婆は、腕はトリの脚、声はカラスにヒキガエル、そして、肉食鳥のような目で下人を見る。老婆は、子ザルのシラミを取るように女の死骸から髪の毛を抜く。老婆に髪の毛を抜かれた女は生前、干したヘビを干し魚だと偽って「太刀帯の陣」で売っていた。 タチウオ(太刀魚)を想起させる言葉遊びかもしれません。さらに、カラスが飛んでいたのは羅生門の「鴟尾」のまわりだが、鴟尾とは鳥の尾の形であり、「鴟」の文字はトビのこと。
単に、比喩表現として生き物が用いられた、と解釈するには多すぎます。作者が意図的にこの作品に生き物を登場させようとしているとしか思えません。少しだけまじめに考えてみると、生死を扱う作品なので多様な生き物を登場させることで「生」を表現したかったのかもしれません。
このように生き物が登場することは、あらすじやマンガ版では抜け落ちてしまいます。ぜひ現代語訳版を活用して読んで楽しんでください。
付録 京都の惨状を伝える鴨長明『方丈記』
『羅生門』において「旧記」と書かれているものが何か不明ですが、薪(たきぎ)の話が鴨長明の『方丈記』にあることが知られています。ただし、『方丈記』では元号が養和のときのこととして書かれており、そのころには羅城門は倒壊しているので、時期が合わない。芥川がそこまで気にせず『羅生門』を書いたのか、あるいは別の文献をもとにしたのかは、(私が)調査しきれてません。
現代語訳 方丈記
鴨長明
佐藤春夫訳https://www.aozora.gr.jp/cards/000196/card60669.html
より、仏像などが薪となっていることを語っている箇所について、その経緯を語った箇所も含めて以下に引用します。
養和の頃の出来事であったと覚えているが何分にも古い事ではっきりした時は云われないのだが、その頃の二年の間と云うもの実にひどい飢饉のあった事があった。実に惨憺たる状態を呈した事があった。春から夏にかけての長い間に一滴の雨すら降らず、毎日毎日の日照り続きで田畑の作物は皆枯死してしまう有様であった。それかと思うと秋になると大風があったり、大雨が降って大洪水になったりして全く目も当てられない様子で穀物等の収穫はまるで無く、唯徒らに田を耕し畑に種を蒔いたのみでその甲斐はなく、秋の忙しい苅入れ時には何もする事がなく、全くの、前代未聞の災難が起ったのである。だから一年分の米もなく、食物もない有様である。
食物の無い先祖伝来の土地の生活、それは苦難の連続でなければならない。だから人々はその先祖代々住みなれた土地を見捨ててしまって諸国を放浪して歩いたりする様になった。またある人々は家や耕地を全で見忘れたかの様に見捨ててしまって山の中に入り込んで暮らしたりしていた。山の方がまだまだ木の実等の食物があったからであろうと思われる。
こうした真に惨憺たる状態にあっては人々は自滅の途を辿るより他に道がないと天子様の方でも御心配にならせられて色々な御祈祷や特別に霊験あらたかなと云われている修法等を執り行わせられたものであるが、一向にその験も現れては来なかったのであった。
元来京都の人々は何事によらずその物資の供給を総て田舎から受けているのであるから、その供給者である田舎が天災の為に物資が全然取れなかったのであるから、京都の人々は勿論物資の不足を告げる様になって来たのである。京都は全く物資の供給者を失った事になったのである。こうなると困るのは京都の人々である。第一に食物を得る事が出来ない。
それでその食物を得る為にとうとう恥も外聞もなく、家財道具を捨て売りにしてはお米を持っている人々の所へ買いに行くのだけれどもこう物資の不足している時に大事なお米は売れないとあって、とても高い値でなければ売ってくれない。こう云う状態だから、どれだけお金があっても宝物があってもどうにもならない有様である。だからだんだんと日の経つにつれて乞食共が多くなって来て、路傍に一杯群がって食を乞うその哀れな叫び声が道に満ち溢れて聞えて来る様になって来たのである。しかし養和元年もこの様な惨憺たる有様の中にどうやら暮れてしまったのである。
明けて養和二年、人々は今年こそは物資の豊かな、平和な世に立ち直るものと期待していたのであるが、その期待は見事に裏切られてしまった。と云うのはこういう飢饉の惨状の上に、またその惨状を上塗りするかの様に疫病が流行し出したのである。人々の惨状は目も当てられず、益々ひどいものとなって行ったのである。元の様な平和な世は何処へ一体行ってしまったのかとうらみたくなる位であった。
人々は飢饉で弱っている身に疫病の難に罹り、多くの人々はその生命を落して行った。一方物資の欠乏は益々ひどく人々は苦難のどん底に落ちて行った。この有様は丁度水の少い所に沢山の魚を入れた様なものであって、所詮は皆その生命を奪われる悲しい運命にあったのである。遂には相当な身分の人達でさえ脚絆に足を包み、顔を笠にかくして、恥しさを忍びながら軒並に食を乞いながら歩くと云う有様になった。この様に食を乞いながら歩いたとて食を与えてくれる家とてあろう筈がないので、人々は疲労困憊その極に達してしまって、今そこを歩いていたかと思うと直にバッタリと殪れてその貴い生命を落すと云う事は、もう極く普通に有り得ると云ういとも哀れな状態にまでなってしまった。だから街路には何処へ行っても行き倒れた哀れな人々の死骸が見出された。あちらの土塀の前、こちらの門の前と云う様に全く目も当てられない有様だった。その上にこれらの餓死し行き倒れた人々の屍を取かたづけ様とするものがないので、日が経つにつれてだんだんと屍は腐って行って、型が崩れ、悪臭は芬々として街中に溢れていたのである。街がこの様な状態なのであるから、鴨の河原などに至っては、実に数多くの屍が一杯に溢れていて、その為に牛車や、馬車の通る道すらもないと云うひどい有様であった。
山へ行って薪を取って、これを都の人々に売ってその日の暮しを立てている賤民や、樵夫達は飢の為に最早その毎日毎日の仕事すら出来ないのである。その為に都の人々は薪が不足して来たのである。だから全くのよるべのない一人者等は、自分の住家を破壊しては薪にこしらえて、これを薪に困っている人に売ろうとするのであるが、一人が街に出て売って来る代価だけでは、その人一人すらの生命を保つだけの価にもならないと云う悲惨な有様である。それにも増して奇怪と云うか、哀れと云うか、真に変な事があった、と云うのはこうして薪の不足を補うべきものの中に立派な塗のしてあるのや、金銀の箔の付いた材木が時々混っている事であった。これは真に奇怪千万と色々と考えて見ると、いよいよ飢の為に困った人々が、売るべきものは皆売りつくしてしまったものだから、寺院の中へこっそりと入って行って仏像を盗んで来たり、御堂の道具をむしり取ったりして、それを薪にして売りに出したものだと云う事が解って来たのである。物資の欠乏がかくまでに人の心を濁らせるものかと暗然たるものがあった。こうした大変な世の中に生れ合したばかりに楽しかるべき人生に、こうした悪濁の姿を見なければならないのは真に情けない事である。
世を挙げての悲惨な中にもまして最も哀れであるのは、お互に愛し合っている人々の運命である。相愛の夫婦、深く愛している夫を持ち妻を持つ人々は自分は兎に角として先ず愛する夫へ、愛する妻へとなけなしの食物すらも与えるのが人情である。こうした人々は必ず深く愛する者が先に餓死しなくてはならないのはあまりにも明白な事である。
この事は親と子の間には最も明白に現れるのであった。親を愛さない子は世にあるとしても、子を愛さない所の親は無い筈である。だから親は必ずその得た食物を子供に与えてしまうので、親は必ず先に餓死しなくてはならないのである。真に最も強き愛は親の子に対する愛と云わねばならない。こうした変事の時には最も明らかに現れるのである。母親の乳房を求めて泣く子供が方々に見られるのであるが、既に母親は死しているのに、その屍に取り付いて泣く赤んぼのいたいけな姿は、この世での地獄と云っても決して言い過ぎでない様な気がするのである。全く京の街々は昔の平和はどこへやら、今は生きながらの地獄の責苦に遭っている有様である。