【現実的な考察】森鴎外『舞姫』
既存のレッテル貼りや先入観なしに、本当の時代背景を考慮して現実的に考察することを目指しました。(注 高校国語の教材としての『舞姫』の勉強の参考にはなりません。高校国語での『舞姫』の扱いは、過去の「現実世界」を扱うのが目的ではないからです)
先頭から読む必要はないので、興味ある項目を目次から選んでお読みください。どの項目も、ながながと書いています。「なぜそうなのか」の理由を示したいからです。
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『舞姫』とは、どんな話なのか
現代語訳を2つ用意しました。レッテル貼りしたあらすじや解説で洗脳された方が多いと思うので、まずは自分で読んで理解することをおすすめします。
▶現代語訳 縮約版。約15分で読めます。
▶現代語訳 全訳。約1時間で読めます。
【考察1】なぜ『舞姫』は口語体でなく文語体で書かれているのか?
口語体を使わずあえて文語体として書かれたのは、それがふさわしい内容の小説だからとか色々と理由をつける人もいます。が、まず単純に、文語体で書くことが、あたりまえの時代だったことが一番の理由と考えるのが自然です。
『舞姫』は明治23年の作品。作品が最初に発表されたのは雑誌『国民之友』の誌上でしたが、同誌に掲載された他の記事や小説も文語体です。
当時の人たちにとっては、口語体ではなく文語体が自然な書き言葉だったのです。
そうはいっても『舞姫』の文体がよくあるごくありふれた文語体というわけでもありません。文語体にもいろいろな文体があるなか、『舞姫』が他と違って特徴的なのは和漢洋をうまく取り込んだ文体となっている点です。「洋」としては、主語・述語、無生物主語といった欧文脈(西欧の言語を直訳したような表現)がよくみられることがあげられます。
同じく明治時代の作家として有名な夏目漱石の小説は、デビュー作からして読みやすい口語体なのはなぜかと疑問に思う人がいると思います。夏目漱石は森鴎外と生まれは近いですが、小説家デビューは遅く明治38年。その頃には、口語体で小説を書くことが広まっていました。明治は、それほど急激に変化した時代でした。
【考察2】『舞姫』は私小説?自伝的小説?ほぼ自伝?実話?
『舞姫』のことを「私小説」や「自伝的小説」あるいは「ほぼ自伝」や「実話」だという人の傾向として大きく以下の3パターンがみられる。
(1)主人公の豊太郎がクズなので作者 森鴎外も同様にクズだ、と非難したい人
(2)森鴎外のドイツでの恋人がエリスのモデルだと考えて、その恋人が何者だったかを調べたい人
(3)作品の話題性を高めたい人
上記(1)は、SNSで非常に良くみかける。(2)は、作品を手がかかりに探す上で、小説のなかに現実が反映されているとみなしている。やっかいなのが(3)で、作品に興味を持たせるために誤解を招くようなことを言ってしまう。
『舞姫』には、作者 森鴎外がドイツへ留学した経験が生かされており、現実の森鴎外と一致する部分があるのは確か。たとえば、ベルリンの情景描写は実際に見てきたことを反映した実話であり自伝的と考えられる。しかし、小説の大部分は現実の森鴎外とは一致しない。
たとえば、こういうことを考えてみてほしい。ある小説家が、コンビニのアルバイトをした経験を生かして、コンビニのアルバイトをする主人公の小説を書いたとする。アルバイトの描写には実体験で得た実話も含まれている。だからといって、その「小説自体」が私小説とか自伝的とか実話だということになるわけではない。
以下に、豊太郎と森鴎外の違いをあげてみた。物語の展開上、重要なところまで違っていることが分かると思う。
・豊太郎は、学校で常に首席
森鴎外は、学校で上位ではあったが首席だったわけではない
・豊太郎には兄弟がいない
森鴎外には弟と妹がいる
・豊太郎は父を幼いころに亡くしている
森鴎外は違う
・豊太郎は大学を法学部で卒業している
森鴎外は大学を医学部で卒業している
・豊太郎は某省の官職についた
森鴎外は陸軍で軍医となった
・豊太郎の行き先は、ドイツのベルリン
森鴎外の行き先はドイツだが、ベルリンだけではない。
・豊太郎はドイツ語とフランス語が話せた
森鴎外はドイツ語については流暢に使いこなせていたが、留学した時点ではフランス語はできなかった。
・豊太郎はドイツで同郷の連中とビールを飲むなどの交流を避けていた
森鴎外は同郷の人たちと交流をしているしビールも飲んだ(ドイツで『ビールの利尿作用について』という研究論文まで書いている)
・豊太郎はドイツで免官となった
森鴎外はドイツで免官になっていない。陸軍において出世し続け、最後は陸軍軍医総監(軍医として最高の階級)にまでなった。
・豊太郎はドイツで母親の死の連絡を受けた
森鴎外は、ドイツにいる間に親を亡くしてはいない。
・エリスはパラノイアという精神病のため赤子のようになった
森鴎外にはドイツで恋人がいたことが様々な研究によって明らかになっている。森鴎外はその恋人をドイツに残し帰国したが、その恋人は森鴎外帰国後にひとりで日本へ来たことが知られている。一人で行動できるくらいなので、普通の状態だったといえる(ちなみに、日本に来た恋人に関してデマともいえる誤解を招く発言をする人を良く見かけるので注意して欲しい。この恋人について興味あれば『鴎外の恋 舞姫エリスの真実』六草いちか 著 をおすすめする)
補足すると、『舞姫』の過去研究により、豊太郎のモデルには武島務も含まれると考えられている。豊太郎が免官となったように、武島もドイツで免官となっており類似点がみられる。
武島は森鴎外と同じく陸軍軍医で、同じころにドイツへ留学している。鴎外とは異なり私費留学生。あるときから仕送りが途絶え、金に困った状況に陥った。ベルリン公使館に駐在していた武官 福島安正は金に困る日本人がいては恥だと思い、官費で帰国するか免官となってドイツに残るかを武島にせまった。武島は、免官となってもドイツに残り学業を続けることを選択した。
【考察3】なぜ、豊太郎はエリスを捨て日本に戻ることにしたのか?
「エリスを捨てた」と言う人や書いたものは多いが、小説のなかには、どこにも捨てたとは書かれていない。エリスと別れるかどうか悩む場面が話の途中にあるが、帰国にあたってはそのようなことは書かれていない。
事実としていえることは「精神病となったエリス、および、これから生まれてくる子を、エリスの母にまかせてドイツに残し、日本へ行った」ということだけ。
(1)捨てたとする解釈について
この解釈をする人は、功名(日本での出世)をとるか、愛(エリス)をとるか、二者択一の物語ととらえている。そのため、日本へ行くことがエリスを捨てることと同じことだとみなしてしまっている。
(2)捨てていないとする解釈について
エリスを捨てることなく豊太郎は日本へ戻ったとする解釈もありえる。どうすればそうなるかというと、豊太郎は日本へ出稼ぎに行ったと解釈すればよい。
「捨てていない」と解釈をすれば、冒頭部の帰国の船の場面で豊太郎があんなにも苦しんでいたこと、および、ラストの一文は、ごく自然なことだといえる。帰国の船であっても、豊太郎はエリスを愛しているからだ。
さて、この解釈を成り立たせるためには、出稼ぎを必要とする経済状況なのかどうかが問題だ。以下に、豊太郎の経済状況を整理した。悲惨な状況だということが分かるだろう。
a) 両親はすでに他界。頼れる親戚もいない。資産や遺産がある様子もない。
b) 天方伯が日本へ戻れば、今まで天方伯から得ていた翻訳の仕事が無くなり収入が減る
c) エリスは踊り子をクビになっており、また精神病のため働けない。エリス分の収入が減る
d) 収入源は、日本の新聞社の海外通信員の仕事のみ。それだけでは豊太郎ひとりが生きていける程度で、エリスに加えてこれから生まれてくる子までも養うには足りない
e) 豊太郎は、官吏をクビになり収入を得る手段に悩んでいたとき、友人 相沢のおかげで日本の新聞社の海外通信員の職を得ている。なぜ日本にいた相沢がドイツのベルリンにいる豊太郎のために職の手配をしたか?それは、豊太郎のような日本人がベルリンでまともな職を得ることが難しいためだと考えられる。
以上より、経済状況は非常に悪い。この状況において、豊太郎が天方伯とともに日本へ戻ることにしたのは現実的な選択だ。ドイツに残れば、親子ともども衣食に困る貧困生活となっただろう。
また、豊太郎が日本へ行くことはエリスの望みでもあった。ロシアに出掛けていた豊太郎にあてた手紙のなかで、豊太郎が日本で出世するのをドイツで待つつもりだったことを述べている。
ちなみに、エリスからの手紙にはまだ続きがあり、こんなことが書いてある。
豊太郎がロシアに行って離れて暮らす日々を経験してみたら離ればなれは耐えられないとわかった。もし職があればドイツに留まれるはず。私の愛で留まらせてみせる。それができないなら自分も一緒に日本へ行く。
やはり職の問題が出てくる。
エリスを日本に一緒に連れていけば良いではないかと思う人がいるかもしれない。だが以下の理由で困難だ。
(1)経済的理由
豊太郎にはエリスを連れていくだけの経済力がない。旅費が出せない。旅費を出すように天方伯に頼んだ場合、相沢が天方伯に嘘の報告をしたことなってしまうのでできない。相沢に頼ろうとしても、彼はエリスと別れろという立場なので納得しないだろう。
(2)エリスの健康上の理由
a. エリスはパラノイアになり、赤子(あかご)のようになってしまっている。1人にしておけず、介護してくれる人が必要。豊太郎には雇う金がない。また、ドイツ語、日本語が両方できる人が望ましいが困難。
b. エリスは治る見込みがないと言われたとはいえドイツで治療を受けた方が良い。当時の日本の医療はドイツから学んでいる最中で遅れている。
c. エリスは妊娠中であり、日本への何十日にもおよぶ船旅をさせるべきでない
【考察4】なぜ、豊太郎は同郷の留学生から妬(ねた)まれたのか?
小説にははっきりと書かれていない当時の留学生事情が暗黙の前提として隠れている。様々な誘惑にかられ、堕落してしまう者も少なくなかった。
小説のなかでは、豊太郎が他の留学生たちと一緒にビールを飲んだりビリヤードをしたりはしない、ということがあげられている。豊太郎がそういったことをせず、優れた自制心でまったく堕落したところがない姿が妬まれたと考えられる。
また、留学生には、女を買う者、恋人を作る者、なかには子供までできてしまう者がいた。それが珍しいことではなかった。一方、豊太郎は、カフェで客引きする女とも遊ぶ勇気がないと書いているので女性関係の点でもエリスと会う前は何もなかったのだろう。
こういう留学生事情が分かると、相沢が豊太郎に対してエリスとの関係について言った以下の言葉の意味も違ってみえる。
「この一段のことは素(も)と生れながらなる弱き心より出でしなれば、今更に言はんも甲斐なし。」
「人材を知りてのこひにあらず、慣習といふ一種の惰性より生じたる交なり。」
これらの発言は、他の留学生のことも念頭においたものだと考えられる。
それならなぜ豊太郎が官長に讒言(ざんげん)されたのか?讒言の内容が、どうして他の留学生でもしている女遊びのことなのか?
こう考えられる。
(1)豊太郎は、他の留学生たちと仲が悪かった。
(2)他の留学生は豊太郎の付き合いの悪さに不信感をいだいていた。堕落した様子を日本に報告し、自分らを留学生としてふさわしくないとして帰国させようとするのではないかと心配した。(小説内ではそこまで具体的なことは書かれておらず単に「猜疑(さいぎ)」したとあるだけなのであくまで推測)
(3)他の留学生から見て豊太郎の弱点として唯一見つけられたのがエリスとの関係
推測ではあるが、他の留学生たちの誰かが自分たちの留学生活を守るために豊太郎を排除つまり帰国させようと企んだと考えられる。
【考察5】豊太郎は国の未来を背負って立つことを期待されて洋行したエリートなのか?
国を担う人材の育成として、文部省は優秀な人物を選んで官費で洋行させていた(官費留学生規則により)。豊太郎はその制度ではなく、某省の官長から「一課の事務を取り調べよ」との命令を受けて洋行している。官長が豊太郎に何を期待していたかが問題となる。
(1) 官長からみた豊太郎
豊太郎はこう書いている。
「官長はもと心のまゝに用ゐるべき器械をこそ作らんとしたりけめ。独立の思想を懐(いだ)きて、人なみならぬ面(おも)もちしたる男をいかでか喜ぶべき」
ようするに、自分の意見などは持たず、ただ官長の手足として動くことを期待されていた、ということ。
その上、同郷人の讒(ざん)言をきっかけに、官長はあっさりと豊太郎を免官にしている。讒言の真偽を問うこともなく、日本に戻れとの命令もせず、即クビである。
官長は豊太郎に、器械のように働く以上の期待はしていなかったと考えてよいだろう。
(2) 天方伯からみた豊太郎
天方伯は豊太郎を評価して、日本に一緒に戻らないかと誘っている。それはどのような評価だったのか?
豊太郎を誘ったとき天方伯は「語学のみにて世の用には足りなん」といっているが、その他の点で高い評価の言及は何もない。つまり、期待されたのは翻訳者や通訳者としての活躍のみ、ということになる。豊太郎が日本の大学およびベルリンの大学で学んだ「学問」については何ら評価を得ていない。
(3)まとめ
豊太郎は経歴の点では免官前までは、エリートであった。
しかし、母親やエリスや友人 相沢のような豊太郎の味方の人物を除けば、いわゆる「エリート」という言葉からイメージされるような期待はされていない。
【考察6】近代的自我の目覚めと挫折の物語なのか?
高校の授業では、『舞姫』の主題は「近代的自我の目覚めと挫折」である、と教わったことだろう。近代文学は近代的自我史観でとらえられるという考え方がかつて主流であり、その考え方に基づいた解釈が高校の教育の場では根強く残っている。ネット上で容易に見つかる舞姫の解説も同様な状況だ。そのような色眼鏡は、作品を理解する妨げにしかならない。
何が書かれているかに向き合って解釈してみれば、そこには豊太郎が近代的自我に目覚めたといえるような行動は見られず、ただ状況に流されていることが見えてくる。また、国(日本)の役に立つため日本に戻らなくてはならないということを豊太郎は考えてさえいない。
以下に、豊太郎についてのドイツでの出来事をまとめてみた。
凡例 ○ 豊太郎の意思や決断
× そうではない
○同郷の連中と、ビールを一緒に飲んだりビリヤードをしたりしなかった。(臆病者だっただけだが)
○機械的、受動的な人間だったと気がついた
○歴史文学に興味を持った。
○官長への反抗
法律についての細かい質問の手紙が来たとき、細かいことを気にせず法の精神を理解せよと自分の意見を述べ、丁寧な返事をしなくなった。
○エリスとの出会い
道で泣いていたのを見て声をかけた。エリスが金に困っていたので貸した。
×エリスとの交流
エリスが豊太郎の部屋に通った
×免官
エリスが部屋に通っていたことを早合点した同郷人が官長へ讒言(ざんげん)したことが契機。
×エリスと離れがたい仲になった
母親の死の影響で、衝動的に、ことに至ったのがきっかけ。
×免官となってもドイツに残った
日本に戻れば汚名を負った身、ドイツに残れば金を得る手段がない、と悩んでいるときに、相沢が新聞社の通信員の職を用意してくれた。また、ちょうど母がなくなり、両親を共に失ったことで日本には戻るべき場所がなくなっている。
×エリスの家に同居
通信員の給料では住む場所を変える必要があり、引っ越し先に悩んでいたときエリスに持ちかけられた
×天方伯との縁ができた
相沢がお膳立てをしてくれたから
○相沢にエリスと別れるよう忠告されても、エリスの愛が捨てられずに別れなかった。
×天方伯のロシア行きに同行
一緒に行かないかと天方伯に誘われて、反射的に行くとこたえた。
×帰国を天方伯に頼む方法があることの気づき
ロシアにいるときにエリスからもらった手紙に書いてあった
×栄達の念の復活
ロシアにいるときにエリスからもらった手紙で帰国の希望があることに気がついた。また、天方大臣のロシア行きに同行したことで、通訳としてだが政治社会で活躍する経験を得た。
×日本に戻ることにした
天方伯に誘われ、すぐに承諾している。
このとき豊太郎が思ったことを引用する。
「本国をも失ひ、名誉を挽(ひ)きかへさん道をも絶ち、身はこの広漠たる欧洲大都の人の海に葬られんかと思ふ念、心頭を衝(つ)いて起れり」
つまり、日本への未練。そして、この機会を逃したらドイツに骨を埋めることになってしまう、という不安。
×エリスと離れ、日本に戻ることにした
豊太郎は自分では、エリスに帰国のことを話していない。豊太郎が病気で意識不明なときに、相沢がエリスに話しており、結果、エリスはパラノイアという精神病になった。相沢によって、エリスとの楽しい日々は永遠に失われ、今までのようにはいられない状況となった。
【考察7】なぜ、豊太郎はクズになったのか?
豊太郎はクズだという感想は誰もが抱くと思う。そこからさらに掘り下げて、そもそもなぜクズになってしまったのかについて考えてみたい。
豊太郎の育ち方に関することを小説のなかから拾い上げて以下に列挙した。
・父を幼くしてなくした
・父の遺言を守った
・母の教えに従った
・幼いころから年長者の教えを守った
・人に神童だといわれるのが嬉しかった
・人が用意した道を歩んだ
・勉強に専念した(自らをあざむいて)
・勉強以外のことをする勇気がなかった
・同級において常に一番の成績だった
・学校で一番になることを、母は慰めとしていた
・母は豊太郎を生きた辞書にしようとした(豊太郎がドイツにて気がついた憶測)
幼い頃の父の死とその遺言が発端となって、他人が敷いたレールの上を走る人生だったことがわかる。
その結果、豊太郎はどんな人間になったのか?小説のなかから拾い上げて以下に列挙した。
・逆境において、決断できない。決断力が発揮できるのは順調なときだけ。
・信頼する人がいうことには、逆らえない
・人付き合いができない(日本からの他の留学生たちと一緒にビールを飲んだり、ビリヤードをして遊んだりできない、など)
洋行したところまでの経歴は「エリート」に見える豊太郎だが、育ち方を見るとただ勉強一辺倒な歪んだものであった。あえて得意な勉強に閉じこもっていたので挫折も味わったことがないような乏しい人生経験しかしていないだろうし、精神面が鍛えられる機会もなかっただろう。その結果、ドイツで厳しい状況に置かれたことで精神面の弱さが表に出てきてクズな言動となったと考えられる。
豊太郎の育ち方には、当時の「立身出世」熱も反映されているようにみえる。明治になり身分の区別がなくなり、人々は、がんばって勉強し出世し、生まれたときの社会的地位よりも高い地位をつかむべきだと考えていた時代だった(ただし、男子の場合の話)。しかも、単に「立身出世」なだけでなく、勉強して立身出世する「勉強立身」だった。
豊太郎は、このようなことが行きすぎた負のケースを代表して描かれているのかもしれない。
【考察8】なぜ、豊太郎はドイツで職探しをしないのか?
豊太郎が日本に戻らずドイツで職を得る選択をしないのはなぜか?いくつかの要因が考えられる。
(1)人脈がない
異国の地で困ったときは仲間同士で助け合うものだが、もともと豊太郎は他の留学生たちとの交流を避けていて仲も良くなかった。そのため、協力してもらえる人がおらず孤立していた。
(2)人種差別
一般的に東洋人は西洋人から下に見られていた。何の後ろ楯も持たない豊太郎は、この人種の壁に直面することになる。
(3)ベルリンの労働事情
当時のドイツは産業革命のまっただなかにあり、ベルリンへ人口が流入し急激な人口増大を続けていた。それに伴い、低賃金で働く労働者にあふれかえっていた。
東洋人として見下されれば、ろくな仕事にありつけないことは容易に想像できる。
なんとか得られる職があったとしても、エリート街道を歩んできた豊太郎にふさわしい職や満足できる給料の職は得られないだろう。
(4)豊太郎の出世はエリスの希望
エリスは豊太郎が日本で出世することを望んでいた。
根拠のひとつ目が、豊太郎が初めて天方伯に会いに行く場面。エリスら家族は、豊太郎の見映えにこだわり、服装を整え、上等な馬車を用意した。そして、エリスは豊太郎に願う「富貴になっても捨てないで」と。天方伯とつながりを持ち豊太郎が出世することを期待している。
次に、ロシアに出掛けていた豊太郎にエリスがあてた手紙。そこには、豊太郎が日本で出世するのを待つつもりでいたと書いている
小説のなかには、豊太郎がドイツで職を得るのが難しいことのほのめかしが2箇所ある。
(1)免官となった豊太郎の職を用意したのは相沢
日本にいた相沢が豊太郎の免官を知り、日本の新聞社に掛け合って通信員の職を用意した。つまり、相沢は豊太郎がドイツで職を得るのは難しいと思っていたといえる。
(2)エリスは豊太郎がドイツで良い職を得られると思っていない
エリスがロシアにいた豊太郎に出した手紙にはこんなことが書かれている
・豊太郎が、ドイツで生計を立てる良い手段が得られるならドイツに留まることができるはず。
・豊太郎が日本に行くなら自分もついていく
・母とケンカしたが母が折れた。私が日本への行くなら、母は遠い親戚のところへ行くとのこと
豊太郎がドイツに留まらないことを前提にして、エリスは日本へ行くことで母とケンカし決着までつけている。つまり、豊太郎がドイツで良い職を得られるとは思っていないといえる。
ここまで検討したことを踏まえると、豊太郎が日本に行く理由を功名心とする一般的な解釈には疑問が生じる。それ以前の問題だからだ。
日本へ行く理由について「【考察3】なぜ、豊太郎はエリスを捨て日本に戻ることにしたのか?」も参照願う。
【考察9】なぜ、エリスは初めて会った豊太郎を部屋まで連れ込んだのか?
豊太郎に体を売ろうとしたから、という解釈をする人がいるが、あり得ない。隣の部屋にエリスの父の遺体がいる状況で欲情しますか?また、部屋に来る前に、体を売るのを嫌がるような話をしていたのに、なぜ豊太郎なら構わないのか?そう、この解釈には無理がある。
素直に考えて、豊太郎の同情を誘って葬儀代を出させたいので豊太郎が断れない状況を作ろうとした、と解釈するのが無理がない。エリスは意外としたたかで、以下のように考えたことだろう。
・豊太郎は見た目からすると黄色人種だ
・身なりが良いから金を持っている留学生だ
・泣いている姿を見せたら慰めてくれ、家まで送ってくれた。これは、かなりのお人好しだ
・父の部屋のドアを開けて父の遺体が見えるようにしておいたから、葬儀代の話が本当の話だと分かったはず。
・こんなお人好し、あともうひと押しすれば落とせる
部屋でのエリスの様子を豊太郎はこう書いている:
「その見上げたる目(まみ)には、人に否(いな)とはいはせぬ媚態あり。この目の働きは知りてするにや、又自らは知らぬにや。」
豊太郎はエリスがわざとしているかの判断がつきかねているが、わざとだろう。
また、このような解釈であれば、エリスが初めて豊太郎と会った場所が、なぜ人目のある通りだったのかの説明もつく。
豊太郎はエリスに対してこう言っている。
「君が家(や)に送り行かんに、先(ま)づ心を鎮(しづ)め玉へ。声をな人に聞かせ玉ひそ。こゝは往来なるに。」
金がありそうな人を見つけたら、わざと声が聞こえるように泣いて、同情させて父親の葬儀代を出させようとする作戦だった、と考えられる。本当に悲しくて泣くならば、邪魔が入らないように人目につかないところで、ひっそりと泣くはずだ。
【考察10】なぜ、豊太郎は子供時代まで遡って語るのか?
豊太郎が帰国の船で過去のことを書いている理由は、書くことで心の奥の「恨(うら)み」を消そうとしたため。単純に考えれば、その「恨み」はドイツで生じた事だからドイツに着任してからの出来事を書けばよい。それなのに、豊太郎は子供時代にまで遡(さかのぼ)って書いている。
あえて書くということは、その「恨み」には、子供時代のことが関連していると考えていたということ。言い換えると、こういう自体を招いた原因を子供時代にまで求めているといえる。
最も古い出来事として書かれているのは、父を幼くして亡くしたこと。
豊太郎は父の遺言を守ってきたと書いているが、内容は明かされていない。推測でしかないが、父の遺言には、太田家を豊太郎が(日本で)出世して復興させるようにと書かれていただろう。
さて、父母の思いの影響で豊太郎がどうなったかだが、その先は「【考察7】豊太郎はなぜクズになったのか?」を参照願う。
【考察11】豊太郎は未成年を妊娠させたロリコン野郎なのか?
本作品は高校の授業で扱われることが多く、ちょうどエリスと同じ年頃に読む人が多いと思う。そのため、大人である豊太郎が自分たちと同じ年頃の未成年のエリスを妊娠させたことに嫌悪感をいだいたり、豊太郎をロリコンだと思う人がいるようだ。(ネットを独自に調べた感想)
では、『舞姫』が発表された明治23年頃の人も同様に感じたのだろうか?この点について、参考となる資料がある。発表より数年あとですが、明治32年の初婚年齢の分布が以下のリンク先のPDFファイルの論文の第1図にあります。これを見ると満16〜18才ぐらいでも多くの女性が結婚しています。
『明治前期統計にみる有配偶率と平均結婚年齢』
https://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00234610-19860801-0001.pdf?file_id=77129
つまり、現代ではまだ未成年とされる年齢のエリスは、当時では結婚してもおかしくない年齢だったといえます。
では、成人年齢が20才からと定められたのは、いつからでしょう?明治29年に制定された民法(明治29年法律第28号) からです。そこではじめて、 「第三条 満二十年ヲ以テ成年トス」 と成人年齢が定められました。『舞姫』が発表された当時には、20才から成人という考え方はなかったのです。
以上のことから、当時の読者の基準からいえば、豊太郎が未成年を妊娠させたことにはなりません。