[野球]追悼・門田博光
門田まで死んでしまった。悲しくて仕方ない。
初めて好きになった球団が南海で、その中心打者が門田だった。小さな体を目一杯使ったものすごいスピードのフルスイングで歴代HR3位の記録を残した大打者。でもアキレス腱を断裂するまでは俊足・好守・強肩の、ライナー性の打球でHRより二塁打が多いような中距離打者で、今で言えばトリプルスリーを狙うような選手だった。足が速いわりに盗塁が少ないのは走る意欲がなかったから、そして三番打者で走る必要がなかったからだと思われるが、アキレス腱を切って走れなくなり、ホームラン狙いに専念するようになったのは報じられている通り。そういう風に自分の打法とカラダを作り替えたわけだ。しかしその前からHR打者としての資質は見せていた。野村克也との確執が言われるが、ノムさんは門田の長距離打者としての資質を早くから見抜いてて、鍛え上げれば自分を上回るHR打者になれる可能性を感じたけど、「南海の四番」「南海のHR王」の座を渡したくなかったんだと思う。だからヒット狙いの打者に矯正しようとしたけど、おそらくその狙いに気づいた門田が反発し……という関係だったんじゃないか。ノムさんが門田、江本、江夏の3人を「南海の三悪人」と呼んだのは有名だけど、3人ともが引退後監督やコーチの口が一切かからなかったのは、本人に問題もあったにせよ、監督の言うことを聞かない偏屈な変わり者というレッテルをノムさんから貼られてしまったことが大きく関係していると私は思っている。特に門田は寡黙で口下手で自己アピールや処世術に欠けるから、すごく損をしたんじゃないか。ノムさんと門田は13歳違い。プロ野球選手として衰えを感じ始める微妙な時期に入団してきた門田に対して自らの地位を奪われるような危機感を持ったんだと思う。もし門田が違う球団に入っていたら、あるいは門田があと5年遅く生まれていたら、こんなややこしい関係にならなかったんじゃないかなあ。
現役時代から、HR狙いのフルスイングをやめれば4割打てると言われ、本人もそれを認めていた。卓越した打撃技術を持ちながら、HRのみを狙った門田に匹敵するバッターがいたとすれば、それは5歳年下の同じ<ヒロミツ>=落合博満しかいない。絶対両者ともお互いを意識していたはず。現役時代、ネクストバッターズサークルの門田は身の毛のよだつようなもの凄いスイングの素振りを繰り返していた。ビビった相手バッテリーは、こりゃあマトモにいけないと勝負を避ける。でも落合はそんな気合いや迫力など感じさせない淡々とした風情で、これならなんとかなるかもと思い勝負に行くとガツンとやられる……という違いがあった、とパリーグ出身の某捕手(名前忘れた)は言っていた。私はもちろん、断固門田派でしたけどね。
ノムさんがサチヨ問題で南海を追放され、チームがどん底の最弱状態になった時期、心の支えは門田の打撃成績だけだったのだ。高校時代はHRゼロ、社会人で頭角を現し、プロになってスラッガーとして開花した左打者、弱小チームで孤軍奮闘……という意味では後の小笠原道大に似ている。寡黙でストイックで一徹なタイプという点も同じ。プロ野球選手としては小柄で恵まれないカラダを鍛え上げ、カラダがちぎれそうなフルスイングでHRを量産したという点も似ている。私が小笠原を好きになってハムを応援するようになったのも当然だったのだろう。どちらも本当に好きな選手だった。
門田の身長170センチは今で言えば森友哉(西武→オリックス)と同じ。バッターとしてのタイプも似ている。なので森は門田の衣鉢を継ぐ存在とも言えるけど、追い込まれると器用に右打ちする森は門田の領域には「覚悟」の点で遠く及ばないと思う。バッターとしての素質は別としてね。
杉浦が死に、ノムさんが死に、門田も死んで、私の好きだった南海ホークスは遠い歴史の点景になった。本当に寂しい。