[追悼]マーク・スチュワート

 昨晩寝る直前にマーク・スチュワートの逝去を知った。起床していろいろチェックしたが、死因はよくわからない。闘病していたという話も聞かないけどどうだったんだろう。関係者たちのかなり動揺したコメントなどを見ても突然の死だったことがうかがえる。

 マーク関係はソロやザ・ポップ・グループ問わずライナーも原稿もいっぱい書いた。来日するたび取材やトークショーなどで会ってもいて、たぶんほとんど唯一の,オレの顔を覚えている外タレさんだった。初めて会ったのはソロのライヴで来日した時にインタビューした90年代だった。その時はザ・ポップ・グループのギャレス・セイガーかなんかの発言を引き合いに出して質問したのが気に入らなかったらしく(当時はザ・ポップ・グループ再結成前)、終始ムッとした表情で無愛想だったけど、それでオレのことを覚えてくれたようで、その後はオレの顔を見るたびに「おお、お前か」といった感じでハグしてくれて、なんでもよく喋ってくれるようになった。会う前は神経質で線の細い寡黙な文学青年タイプを想像していたが、実際は体も声も態度も大きくてめちゃくちゃ雄弁な、「ガハハハ!」と大笑いするような豪傑タイプで、私よりいくつか年下だったけど、なんだか兄貴と接しているような気分にさせられたものだ。後輩などの面倒見もよかったようで、ああみえてたぶん人望もあったんだと思う。繊細な面もあったんだろうけど、一見「殺しても死なない」タイプの人で、オレより先に死ぬなんて、そりゃないだろうという気分である。

 最初に会った時はテクノへの興味を深めてる時期だったけど、その後も新しいサウンドやカルチャーの動向には常に敏感で、しかし常にその音楽性の根底にはダブがあって、ダブの基本理念である「全てを疑え」を地で生きていて、絶対に保守的にならず、常に前だけ見てずんずん突き進むような人だった。ザ・ポップ・グループももちろんいいがソロ・アルバムがいつも最高で、いつかまたとんでもなく過激で刺激的なソロ・アルバムを聞きたいと思っていた矢先だった。

 初めてザ・ポップ・グループのファーストをバンド仲間の家で聞いたのはもう45年近く前だ。その時はさっぱり良さが分からず戸惑うばかりだったけど、それ以来もっとも影響を受け自分の音楽観の根底を形作ってくれた恩人である。彼を通じていろんな音楽を知ったし、最初からなにもかもわかってしまう音楽よりも、謎が多い表現のほうが後々まで残る、そんなことも彼から学んだ。だからパッと聴いてよくわからなくても、すぐに切り捨てずしぶとく何度も聞く習慣がついた。

 音楽評論家としては彼の音楽について、その功績についてもう少し詳しく掘り下げるべきなんだろうが、今は衝撃が大きくて、そんな気力がわかない。

 いつでも思うことだが、自分より年下の人が亡くなるのはつらいものだ。どうか彼の魂が安らかに眠れますように。

 ありがとう、マーク。


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小野島 大
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