平気で生きるということ(β)の読み方
平気で生きるということ(β)では、精神的な不安定な人たちに向けて、傷つくことや傷つけること、不安と悲しみ、その他の負の感情の取り扱いを中心に「平気で生きる」ために必要な考え方の構築を目指しています。
この長い文章では、いくつかのテーマが全体を通底していますが、なかでも重要なパートは負の感情―――傷つくことや悲しみと苦しみ、不安など―――を見ないようにすることがかえってそれらの感情を強化するということです。したがって、負の感情と折り合いをつけながら生きていくためにできるのは、それらを軽視したり、無視するのではなく、むしろ向き合うこと、精神の許容量の限界を知ったうえでそれらをどのように消化するかについて自分に合った方法を模索することだと言えます。
神経症とは、従来の欲望の物語が破綻し、そして、新しい欲望の物語がまだつくれないでいる状態である。(「幻想の未来」、岸田秀)
そのため本連載の第一回(悲しみが蓄積する人の思考ー無意識について)では、フロイトのいう神経症の成り立ちを水路にたとえて説明することから始めています。
辛い、しんどい、悲しい、という思い、あるいは愛すべき人への憎悪、反対にあってはならない愛情―――どんな感情であれ、存在しているものを無理にせき止めると、ちょうど本来の道筋を封鎖された水路のように氾濫し、思わぬ形で流れ出すことになります。それは、自分自身の不安・閉塞感や精神症状はもちろん、他人に対する攻撃的な態度に帰結するかもしれませんし、身体的な不調としてあらわれるかもしれません。
このように、傷つくことや、悲しみ・苦しみといった負の感情を抑圧しようとする努力がかえってその傷口を拡げるという逆説の例として、たとえば「無敵の傷つかない心を手に入れる方法」というような自己啓発を信じた人が、自分はもはや傷つかなくなったはずだと考えたり、あるいは負の感情をいっさい無視するように心がけたはずが、かえってその精神的苦痛を耐えがたくしてしまうというようなものが挙げられます。
いうまでもなく、人間は本来悲しんだり、傷ついたりするものであり、何ごとにも動じない無敵の心を持ったロボットになることはできません。ですので、存在しているはずの感情を「なかったこと」にしてしまうのは、ちょうど水が流れている水路を埋め立てて水をなくしたように思っているのと同じことで、後になってもっと深刻な事態に陥ることは想像に難くありません。
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