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政治の話をやめて、猫や犬の画像でも見ましょう

cakesという媒体がこの2ヶ月で立て続けの炎上を経験している。3回目になる今回は、ざっくり言えば声優・文筆家のあさのますみさんが以前からcakesでの掲載に向けて準備していた友人の死にまつわる連載が、cakes1回目の炎上(DV被害を虚偽と決めつけた人生相談)、そして2回目の炎上(ホームレス取材記事)を受けて「センシティブな内容だから」という理由で反故にされ、掲載を拒否されてしまったというものだ。(詳しくは本人の記事を参照。)

言うまでもなく、この掲載拒否の動機は内容に関する倫理的な吟味によってではなく「炎上するかもしれないから、もう炎上したくないから」という消極的な理由によるもので、その判断が裏目に出てかえって炎上してしまった格好になる。

しかし、今回の件についてのcakes側の粗末な対応は、cakesが抱えている特別な問題ではなく、断言してもいいが、ほとんど全てのメディアで日常茶飯事的に起こっている問題の、製氷皿の氷のひとかけらにも満たないような氷山の一角である。

この一件は、要するに「センシティブな問題で炎上したくなければセンシティブな問題に触れなければいい」という最悪の最適解が、特別な条件が揃ってたまたま露呈したのに他ならないのだ。



”センシティブ”な内容で炎上したくなければ触れなければいい


ポリティカル・コレクトネスや倫理的な妥当性に関する検証を確実に避ける方法がひとつある。それは「ポリティカルな問題に触れないようにする」ことである。

たとえば、私はライターのはしくれであるので、実体験をもって説明することができるが、マイノリティの存在、イデオロギー、差別偏見のようなポリティカルな問題に触れる描写はほとんどのメディアで忌避される傾向にある。こういった「高度で複雑」な問題は、どう考えたって「触れないほうが得」だからだ。そうすると、繊細な表現はポリティカル・コレクトネスや倫理的妥当性に基づいて修正を要求されるのではなく、表現自体を断念するように求められることになる。私の知っている限りでは、大きなメディアほど「偉い人」が、炎上を避けるために「面倒なもの」を出さないよう求める傾向がある。

しかし、これが最終的にどういう態度に帰結するかというと、マイノリティや弱者の存在は「出さないのが手っ取り早い」ということになる。たとえば記事やイラストの中に有色人種がいるとき、「この部分にある有色人種に対する表現は偏見を助長するのでこう変えてください」ではなく、「炎上するかもしれないのでここにいる有色人種を白人にしてください」という直球に差別的な変更が「トラブル回避」のために要求されることになるのだ。

しかし、実際にはこういった顛末が明るみに出ることはほとんどなく、メディアから仕事を受けているクリエイターは基本的に立場が弱いのでこういった指示を甘んじて受け入れることになる。だから、冒頭の件のように「炎上回避」のための掲載拒否とか修正指示が明るみに出るというのはレアケース中のレアケースだと言える。これがこの顛末を「氷山の一角」だと断言できる理由である。



全く同じように、cakesの以前のホームレス取材記事の炎上はホームレスの存在を「センシティブな」ものにし、逆説的に「ホームレスに触れるな」という抑圧的なムードを強化してしまうことが容易に予測できる。恐らくこの影響は別のメディアにも波及しているはずで、とどのつまり「弱者の存在を厳密にポリティカリーに表現せよ」という要求は、最終的には「弱者の存在に言及するな、見ないようにしろ」という「弱者への配慮」とは対極にあるイデオロギーに接続してしまうのである。この影響は、ネット上の記事だの漫画広告を「見ている側」の受け手には決して知らされず、それを「作る側」に対してのみ及ぼされる。「炎上」させる側のロジックがいかに「政治的に正しい」ものであっても、この見えない範囲に対する影響は計り知れない。

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