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環境モラリストの善悪万能論

近々猛烈な台風がやって来るということで、web上でも台風に関する話題が盛んなわけだが、中でも目についたのはある有名人による「昨今の勢力の強い台風は人間のもたらした気候変動の結果である」というもので、これは特に反発もなくすんなりと受け入れられていたため事実ということなのかもしれない。個人的には台風のような自然現象はもっと巨大な地球上のエネルギーのやり取りによってはるかに昔から起きていたものと考えていたため無知を改めざるを得なくなったわけだ。

それはさておきとして、自然現象の如何を人間の活動に対する罰や恩恵として扱う風習ははるか昔からあって、火山が爆発するのは信心を欠いた人間たちに対する火の神の怒りであるとか、穀物に雨が降るのは敬虔なわれわれに対する豊穣の神の慈しみであるといったふうに解釈され、これを何とかコントロールしようと試みた形跡は古い時代から各地に残っている。



で、遠回りはよして結論から言うと天災や疾病といった人間活動に対する阻害は人間の罪や傲慢に対する罰としてでなくただ存在する。それは生に対する罰として死が存在するわけではなく、ただ人や生物が死ぬように善悪や道徳の範疇を超えたできごとであり、たとえば強欲による環境破壊によって人間に都合の悪い事態が引き起こされるのは強欲ではなく環境破壊が問題なのである。

環境モラリストが「人間活動の過剰によってかえって人間活動に必要な環境が阻害されつつある」という、まったくの正論を言う立場であるにも関わらずしばしばスピリチュアルとか疑似科学的な態度を見せることになるのは「善」によって「恩恵」がもたらされ、「悪」によって「罰」がもたらされるという人類が数千年単位で繰り返してきた迷妄を継承しているからに過ぎない。

いうまでもなく、人間の強欲によって引き起こされた環境変動は実在するだろう。温室効果ガスと地球温暖化の関係性などの科学的な問題はここで論じないが、乱獲によって生態系が破壊されるとか、工場の廃液を垂れ流して公害が発生するとかいった規模のものまで含めればおそらく枚挙に暇がない。こういったことが問題視されるのは人間の強欲が人間活動そのものを阻害するという矛盾に至った点に尽き、想像しがたいが人間の傲慢によってさらに人間にとって望ましい環境が副次的に発生するという類の環境変動が引き起こされたならその傲慢が問題視されることはまずないだろう。

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