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「他人の意見や考えを知るのが気持ち悪い」という感覚について

最近はネット上が真面目な議論、とりわけポリティカル・コレクトネスとかジェンダー関連の話題で噴き上がることが多い。知り合いの何人かも、そこかしこが「意見」で溢れる傾向を気味悪がったり、嫌な時代になったというふうに嘆いたりしていて、同じようにストレスや負担に感じている人は少なくないのではないかと思う。

実際にはこういう「意見」とか「議論」がネット上を真っ黒に塗りつぶしているわけではないのだが、こういうことは一旦気になり始めるとそればかりが目につくようになるというのが必定で、この文章を読んでいる人の中にもそのことで悩んでいる人がいるのではないかと思う。

前提として言っておかなければならないのは、他人が真剣に言っていることを受け止めるのは、とりわけ何かに苦しんだり怒っている人が言うことに関しては、受け止めること自体が負担になるし、自分自身にその余裕がないと考えるのならば避けて通ることは全く問題ないと思う。

でも、もし他人の意見という意見、考えという考えが自分を脅かそうとしているように感じるのなら、その苦しみを軽減する意味においては、人が自分の考えを言う意味やその受け止め方について考え直すことも有意義だと思う。これから書く文章はその「気持ち悪さ」を少しでも緩和してくれるかもしれない。



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