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自己肯定感とは何か

「自己肯定感」という言葉が意味するものを一意に定義することは愛や信仰を精神医学的に定義するのと同様に困難を極める。愛する人や信仰する人は、対象を信頼することによって自らそれを重要なものたらしめる。それらは確かに精神を下支えする存在となり得るが、その価値を外部から観測することはできない。私たちはただ、それを失ったことによって苦しんだり、その存在によって豊かな生活を送る人がいることを知っている。

自己肯定感とは、自分の存在を自分が許容するというマッチポンプ(自作自演)の構造を持った概念である。この点でそれは、「価値」という概念とは対極的な位置にあると言える。一般に「価値」とは他者によって認められ、普遍化されるものであるが、自己肯定感は字のごとく自己によってしか与えられ得ない。



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△自己肯定にどの程度の条件を課すかはその人による



自己肯定感に関する最も多い誤解はそれを、私たちが自分自身を「価値あるもの、素晴らしいもの」と確認するためのさまざまな証左と関連付けて称揚する感覚と捉えてしまうことである。図のように、自己を「肯定」するための条件は人によってばらばらであり、さまざまな条件を達成して自己評価を高めなければ自己を「肯定」できない人もいれば、ほとんど条件を課すことのない人もいる。自己肯定感を誤解する人は、さまざまな条件を達成し、自己の価値を高めている人を「自己肯定感のある人」だと考えるが、「さまざまな条件」―――たとえば私のできること、私を愛する人々の存在、私の持っているもの―――によって自己を肯定するという形式は、結局のところ「自分で自分を許容する」という自己肯定の「マッチポンプ的な」前提を満たしていると言えない。

自己否定的な人とは、多くの場合は自分に対して多くの「条件」、あるいは高いハードルを課し、それを達成できない自分を責める傾向のある人である。しかし、ここにはひとつの矛盾が存在する。「自己肯定感の低い人」は、自分で自分を許容することができないという欠乏感によってますます他人に対する優越や評価といった「外部からの肯定」を求めるのである。換言すれば、自己肯定感の低い人ほど自己評価を高くすることでそれを補おうとするのだといえる。自己肯定感とは、自己に対する根拠のない信頼や愛情のようなものであり、そこに「根拠」や「理由」が存在することはかえってそれを不確かなものにする。

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