見出し画像

暴力でない哲学的パンチ

2019年8月11日、「『アンパンチ』で暴力的に? 心配する親も…メディアの暴力シーンは乳幼児にどう影響?」という記事がネット上で配信される。

配信サイトからのTwitter上の告知には3000を超えるコメントが殺到し、その温度は一様に高い。だいたいの雰囲気はこんな感じだ。

・うちの子は暴力的になっていない

・暴力的になったとしても親の責任

・アンパンチは暴力じゃない

・そういうことを言っている親のほうが暴力を振るう

・親の頭のほうが心配

―――要するにこれはよくある、「犯罪や暴力の根源をフィクションや娯楽表現に帰結し、決めつけで撲滅しようとする理解のない表現規制派」、つまりフィクション愛好者に対する「外敵」と捉えられているようだ。

では、この反論をふまえて元の記事を読んでみよう。短いものなのでざっと目を通すのに時間はかからなそうだ。ここではその一部を引用させていただきたい。



メディアの暴力シーンに関する実験研究で、『復讐(ふくしゅう)、悪漢を倒すなどの動機がある』として暴力が正当化された映像を視聴した場合、『暴力が社会的に許容される』と教わることになり、暴力を学習しやすいことを示した研究があります。
こうすればよいという明確な解決法はなく、難しい問題ですが、テレビ番組やゲームソフトの話が子どもたちの話題や遊びの中心になることもあるので、私自身は、そのような番組を一切見せないよりは一緒に見ながら、さまざまなことを教えていった方がよいと思います。
例えば、大勢で怪獣をやっつけているシーンの後で、『大勢でたたいていて、何だかかわいそうだね』と、たたかれている怪獣の立場になって話しかけることも一つです。あるいは、『アニメでは、車にひかれるとぺっちゃんこになっても元に戻るけど、本当は車にひかれると死んじゃうから、車には十分気を付けてね』といったように、アニメと現実の違いを教えることもできます。



原文を読んでみると、質問に対する回答は「フィクションの中の暴力を真似する可能性はある」としながらも、「見せない」ことよりも「一緒に見ながら様々なことを教えるほうがよい」という、表現規制過激派とは似ても似つかない”至極まっとうな結論”である。では、なぜツイッター上のコメントはここまで敵対的なのだろうか?答えは簡単だ、記事までは読んでいない。ニュース記事の内容が140字以内でまとめられていなかったことは双方にとっての悲劇だ。


ここから先は

3,025字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?