スーパーエリート心理学の誕生
・魔法のように全てがうまくいく3つの考え方
・一週間で人間関係の悩みが消える5つの法則
・たった10分で人生が変わる毎朝の習慣
見るだに眩暈のするような見出しが本屋の入り口で、新書棚で、動画サイトのトップで踊る光景は今となっては珍しくもなんともない。ビジネスマンが好むノウハウ本や実業家・投資家ワナビー向けの実用書との合体を繰り返してきた心理学や精神分析は徐々に成功則をツール化したものとしての性質を発揮し始め、ほとんど情報商材と見分けのつかないものまで跋扈しており、その可能性の肥大たるや数秒で神を殺めるという領域に肉迫している。
このワナビー向けの成功則と一体になった心理学が背負っている過剰な負担は、言ってみれば精神的に健康であれば誰もが億万長者になれるという理屈で、これを肉体の健康になぞらえると「毎日豆腐を食べればボクサーの世界王者にも勝てる」ということになるのだが、精神的健康というのはむしろ普通に暮らすことをよしとするためにあるものだろう。
こういった、情報商材やノウハウ本と不可分になっている「ツール化」した心理学の役割は、実用書としての表向きに反してむしろ宗教的なものになっている。たとえば、健康だった頃には見向きもしなかったはずのお湯につかるとガンが治るとか、鉱石から出てくる波動で健康が取り戻せるという民間療法が末期ガン患者にとって意味を持つように、ここでの消費者はそれが謳う機能に本当に期待しているのではなく、それによって生まれる希望そのものを買っている側面があると言える。少なくとも、謳われている機能が実際には嘘だったとしても、それを信じていることによって希望が生まれているという実際の効果や、その効果への権利も否定できない―――現実が同じであったとしても、そこに希望が存在しているかいないかには大きな違いがあるのだから。
こういった種の派生心理学から読み取れるのは、アメリカン・ヒーロー的な自己への理想である。スーパーマンは銃で撃たれても厚い胸板でそれを弾き、怪力や超人的能力によって全ての問題を解決する。そこで、「傷つかなくなる生き方」や「何でもできるようになる考え方」というように、無敵の自己像を反映した極端な心理学ノウハウが生まれ、読者はある種のファンタジーとしてそれを享受する―――映画のヒーローを見るのと同じく、あとに変わらない自分が残っていたとしても、その時ばかりは救われているのだ。
しかし、心理学をツール化することの大きな問題のひとつとして、ツール自体が持っている性質、「ある目的を達成することを手伝うが、目的そのものを見直しすることはできない」という面も考えなければならない。「どうしても〇〇しなければならない」という固定観念に囚われてしまったとき、ツール化した心理学は依然としてそれを達成することしか命令できない。
そこで想定されるのは、表ではスーパーヒーローのコスチュームをまとい、無敵の人物として振る舞い、裏では全ての成功の陰にますます憂鬱になってゆく二面性のヒーロー像だ。ここには「心理的健康者は成功するもの」という願望的な力学は存在しておらず、むしろ逆のロジックがある。精神的不健康者は、常に不健康で不満あるがゆえに成功することによってそれを補うしかなくなっているのである。
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