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「だめな人」の役割―――家に取り残される子ども

何らかの問題で機能不全に陥った家族が第一に試みるのは、その問題を隠蔽し、少なくとも表面上は「健全な家族」としての体裁が成立するように取り繕うことである。このような家族で子どもは、一般的には家庭内で「子ども」が負担するものではない役割を内在化し、機能不全家族の運営を補助する。その役割は、異常な状況に順応すること、親に放棄された責任を負うこと、親のなだめ役や道化、(問題)行動化などである。

子どものこの役割の偏りは、人間関係を形成するうえでの基盤であり、その役割が家庭内で子どもに過剰な負担を強いるものであれば、他者との関係もまた子どもに過剰な負担を強いるものとなる。

「ものぐさ精神分析」の以下の引用文は、家庭内での「役割」の相補的な関係をわかりやすく例えている。



たとえば、子どもが六人いる家族がある。両親もまじめな人たちだが、子どものうち揃って五人は揃ってまじめ過ぎるほどまじめで、みんな一流大学を出、一流会社につとめ、酒も煙草もやらず、冗談を言っても通じないほどの堅物である。ところが、一人だけ不良息子がいて、同じ一流大学へはいったことははいったのだが、おもしろくないと言ってやめてしまい、定職をもたず、怪しげな女たちばかりと関係を結び、あちこち借金を作っては踏み倒し、刑事事件になりかけて、家族の者たちはしょっちゅうその尻拭いに四苦八苦している。浅く表面的に見れば、この家族は、たまたま一人の不良息子をもったばかりに、大変な苦労をしているわけで、この息子さえいなければ、世間からとやかく言われる心配もなく、金に困ることもなく、みんな平和で安らかな市民生活が送れるはずのように思われるかもしれない。しかし、わたしはそうは思わない。この不良息子は、他の者たちの「抑圧されたもの」を引き受けているのだ。並外れてきまじめな他の者たちのそのきまじめさには明らかな無理があり、彼らは、そのきまじめ規準に合わない多くの傾向を排除し、抑圧しなければならず、そのような抑圧のうえに成り立っている彼らのきまじめな日常生活は必然的にひからびていて、耐えがたく退屈であり、彼らとしても、その日常生活にそぐわない、しっくりこないものを自分のうちに感じないわけではない。そこを救っているのがこの不良息子である。彼は好き勝手なことをやらかして世間に迷惑をかける。これこそ彼らのやりたいことなのだ。…(「ものぐさ精神分析」、岸田秀)

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