幸福に条件を課す人ーフィクションの病
自己否定感情に苦しむ人に、自己否定感情を捨てよ、と言ったところで、あるいは自己肯定感情を持ちなさい、と言ったところで、言葉通りにできるわけではない。ありのままの自分を受け容れられない人が、「ありのままの自分を受け容れなさい」と言われて、額面通りにそうできないのも同じことである。
ある人の自己否定感情はたいてい頑ななものであるが、頑なであるのには無視できない理由がある。それは、ほとんどの人が自己否定感情を「それ単独で」持っているのではなく、保存すべき「大切なもの」と同時に抱えているからである。
まずはこの、自己否定的な感情と「大切なもの」がどのようにして表裏一体の関係を結ぶのかについて考えてみよう。
△自己否定ー成長
仏教の世界では、外界でよしとされるものが否定されがちである。
たとえば、外界では常に成長が要求されるが、仏教は「成長」を否定的なものとして捉えることがある。また、外界では「希望が人生を豊かにする」が、仏教では「希望は絶望のもと」である。これらの概念は、言うまでもなく人間にとって必要なものであるが、同時に私たちを苦しめる要素にもなり得る。
まず、「否定的な」成長に対するアプローチを理解するために上の図を参照してみよう。成長するということは、できないことができるようになることである。自己否定的な成長の概念は、図のような過程で行われる―――まず、「できない自分」に対する否定や否認があり、「できるようになった自分」が肯定される。「できない自分」を認めないことによって自分を「できるようになる」ことに急き立てることの繰り返しが「自己否定ー成長」のアプローチである。
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