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「助けを借りたくない人」の心理

これまでに説明したとおり、精神的に自立していない親は恩着せがましい愛情、「私はあなたを愛するためにこれだけの犠牲を払った」という自己犠牲ばかりを主張する愛情を子どもに与える。とうぜん、この言葉の裏には「その見返りにあなたは何ができるのか」という要求が潜んでいる。この親は決して、私があなたを世話するのは私がそうしたいからである、と説明することはない。

このとき子どもは「実のところ親は自分を愛しているのではなく、何かの見返りを求めている」と察知するが、「私は愛されている」という子供にとって絶対に守らなければならない現実のために、「私は実のところ愛されていない」というもう一つの現実を無意識の底に抑圧し、「この人は(たいへんな犠牲を払うほどに)自分を愛している」というフィルターのかかった現実だけを意識内にとどめて生活する。

この「実のところ私は愛されていない」という不安や疑いは、普段は理想化された現実の陰に隠れているが、親が求める条件つきの愛情―――親に支配され、親が思うように振舞い、親の望みを自分の望みとして受け入れること―――が自分本来の欲望や現実と矛盾するとき、偽の現実の綻びから溢れだし、しまいに意識は罪悪感や失望感で満たされてしまう。



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△条件つきの愛情のモデル



「条件つきの愛情」の図で示したように、このような親に育てられた人は人間関係や愛情関係の中に「私が払った犠牲をあなたが同程度の犠牲で補う」という交換原則が刻まれてしまう。親との愛情関係は全ての人間関係の原型となるからである。それはつまり、今後一生の人間関係のあり方を破壊されてしまう恐れがある、ということを意味する。

本来の利他的な愛情は、相手の存在に対して向いているもので、見返りを求めることはない。しかし、「条件つきの愛情」では「私のはらった犠牲」がそのまま「相手に要求される見返り」になる。このため、恩着せがましい愛情の持ち主は常に自分の犠牲をアピールしたり、過剰に装飾して表現するのである。

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