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大人になった「良い子」ー成功し続ける苦悩

精神的に自立していない人が他者に与える愛情は自己愛の延長に過ぎない。したがって、このような人が子どもを愛するときには自己愛の都合が何よりも優先される。親が自己の延長としての子どもをコントロールし、うまく「動いた」ときにだけ愛するのが、いわゆる「条件つきの愛情」の形態である。

この子どもは自分の「存在そのもの」を受けいれてもらえず、親の期待に沿ったときだけ愛される―――すなわち存在することを許される。そして、その厳しい条件をともなった生存法則を抱えたまま大人になれば、精神生活は無意識的な不安につきまとわれる。

親が期待に沿わなかった子どもを激しく非難する光景は、過去にあった子どもとしての自分とその親の関係の逆転された再現である。この再現を成功させることによって、自分が親に愛されていたと追認し、未だに囚われている無力だった過去に復讐する。私が子どもにこのように厳しくするのは「愛している」からだ。



実際には愛されていない(そしてそのことを必死に否認しようとする)子どもにとって、親の求める高い期待に沿い続けることは生き残るための必須条件である。この子どもは、年齢に不相応なほどの早熟な能力や気配りを身につけることによって、親の機嫌を取ることを覚える。これによって「良い子」のイメージを獲得し、つかの間の安息を得る。「良い子」である自分は存在することを許されている。

しかし、いっぽうでは親が要求する理想の自分は自分ではないということを知っている―――親の期待に沿い続ける自分とは、親の言うことを聞き続け、同じような考え方を持ち、なんにでも成功し、親が持っている劣等感を親の代わりに晴らすような完璧な人物である。親が愛しているのは欠点を含めた「自分自身」ではなく、親に支配され、期待に沿い続ける自分のある一面でしかないという事実は耐えがたい。そこでこの子は、親に愛されているところの「自分」に矛盾しない、理想化されたセルフイメージを構築する。自分は「できる子」で、親の期待にこたえ、親が望まないような欲望は持たない「良い子」である。

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