父と東京とヨーグルト
高校2年生の頃、東京の大学へ行きたいと私は父に強くお願いをしたが、聞き入れてもらえなかった。
『東京の大学なんて行く必要なんてない。金だってかかるし、浮足立って遊び回って、アルバイトなんかして勉強する時間がなくなるってよく聞くだろ。そんなんじゃ意味ないんだぞ。こっちの大学に行って就職して、自分で稼げるようになったら東京でも海外でも遊びに行けばいいだろ。』
私があまりに諦めないので、最後は母も一緒になって父を説得してくれたが、結局父は許してくれず、私は実家から通える地元の大学へ入学をした。
就職活動の時期にも、全く同じ事が繰り返された。
『東京で就職?東京にはこっちじゃ信じられないくらい人が住んでるんだぞ。想像もつかない競争社会で、ずっとこんな田舎で生きてきたお前がやっていけると思うか?こっちで就職しろ。』
ずっとこんな田舎で生きていけと言ったのはお父さんじゃないか。私はダイニングでーブルを強く叩いて部屋へこもった。そのまま、父とはろくに会話をすることもなく、勝手に東京での就職活動を始めた。
『東京に就職決めたから。』私がそう言っても父は何も言わなかった。私はお父さんの娘だけど、娘はお父さんの所有物ではない。私は私の思う人生を歩んで何が悪いんだ。
父に理解してもらいたい気持ちと、腹が立つ気持ちで心がグルグルとしたまま、今日私は東京へと出発をする。
母が作ってくれる朝ご飯はいつも通りで、炊きたてのご飯に豆腐とナメコのお味噌汁。ハムエッグの卵は2つで半熟。それに、焼いた鮭と納豆。私が食べて育った定番の朝ご飯だ。
『おはよう。お父さんは?』
『なんか散歩に行くって出てったのよ。散歩なんてしないくせにねえ。お父さんも寂しいのよ。あんたが東京に行くの。』
『そんなことないでしょ。』
『あるわよ。あんたが東京で働くこと決めたあと、東京の治安とか働く会社のこととか、もうたくさん調べ始めちゃって大変だったんだから。』
親心が分からないわけではない。それに私だって両親と離れて寂しくないわけでもないし不安もある。でも私は東京に行って頑張ってみたい。だからやっぱり、それを理解して応援して欲しかった。
『早く食べちゃいなさい。新幹線11時半でしょ。お母さん送っていくから。』
ご飯を食べ終わって、歯磨きをして、あぁもうすぐこの実家ともしばらくのお別れになるのかなんて、少しセンチメンタルになっていると父が散歩から帰ってきた。
『おい。ヨーグルト食え。』
父はコンビニの袋からタバコとヨーグルトを取りだし、ダイニングテーブルにヨーグルトを置いた。
『もう歯磨きしちゃったからいいよ。お父さん食べなよ。』
『いいから食え。』
そう言うと、タバコを吸いにベランダへと出て行ってしまった。
『親孝行だと思って、食べてあげたら?』
母に促され、私はしぶしぶヨーグルトの蓋を開けた。
『子供の頃から、それ好きだったわよね。』
『そうだっけ?覚えてないよ。』
『私とお父さんはよく覚えてるわよ。』
私は、何かがこみ上げそうになるのを、ぐっと飲み込んだ。このヨーグルトはよくある普通のヨーグルトで、フルーツやアロエが入っているわけでもない、なんてことのないヨーグルトだ。ヨーグルトを食べておけば健康で大きくなれると父に言われ、私はそれを信じて毎日のようにヨーグルトを食べていた。
『おい。頑張れよ。』
タバコを吸い終わり、部屋へ戻ってきた父が少し泣きそうな顔で、私にそう言った。
『うん。』
私も思わず泣きそうになり、すぐに父から顔を背けてしまった。
『ヨーグルト食えよ。健康で大きくなるからな。』
『もう大きくならないでしょ、もう23歳になるんだよ、私。』
少し笑ってそう言うと、父も笑っていた。
『大きくなったんだな。ヨーグルトのおかげだな。』
父はそう言うと、自分の部屋へ戻って行ってしまった。
お父さんへ
こんな手紙を書くと、まるでお嫁に行くみたいだけど、今まで本当にありがとう。
東京へ行くこと、最後は許してくれてありがとう。
ヨーグルト美味しかったよ、ありがとう。
22年間、本当に本当にありがとう。
ヨーグルトのおかげで、大きくなったって、さっきお父さんが言ったけど
私がここまで健康で大きくなれたのは、お父さんとお母さんのおかげだよ。
東京で頑張ります。
また帰ってきたときには、あのヨーグルト買っておいてね。