たましいってどこ?
「人間は簡単に死なないっていうけれど、いつどこでどんな変な人間に遭遇して事故に巻き込まれるか分からない。いってらっしゃい、夜ご飯食べるか決めたら教えてねと手を振った顔が最後の笑顔になるなんて夢にも思わなかったし、今でも信じられない。」
そんなもの、私の人生とは全くもって無関係ですと誰しもが思うだろうけど、そんなことはなくて、今この瞬間に私も私の大切な人も死んでしまうかもしれないと考えることは大袈裟かもしれないけれど、絶対にあり得ないと言い切ることは出来ない、絶対に。
二十代のころの私は、長生きもしたくないし、ささっと楽しく生きて四十歳くらいで死にたいと思っていた。これは強がりでもかっこつけでもなく、心の底からそう思っていた。だけれども三十五歳になってみると、いやいやあと五年って短いでしょ、バカ言ってんじゃないよと思うし、出来れば元気で長生きしたいと心の底からそう思っている。
たましいってどこ?
かなりのポップ&ディープなトートバッグ。
時々、その意味知ってる?と聞きたくなる変な日本語が書いてあるTシャツを着ている外国人を見かけるけれど、それ相当もしくはそれ以上に、色々な意味で見過ごせない言葉。
たましいはどこにあるのだろうか。たましいとは一体なんだろうか。
これについて本気で追及をするとかなりスピリチュアルで“諸説あり”的なアレになってしまいそうだけれど、ウィキペディア様によると
生命や精神の原動力的な存在。感覚による認識を超えた永遠の存在
なんだってさ。難しいよね。
じゃぁさ“魂のルフラン”ってなんだろうね。
ルフランはリフレインの意味らしく、輪廻転生みたいな感じ?
まぁそれはいいか、私エヴァンゲリオン見たことないから余計な話はやめておこう。
たましいはどこにあるのだろうか。それが永遠の存在というならば、もし私が今日死んで肉体が消えてしまっても、私の魂はこの世に存在し続けるのだろうか。私が存在しなくても、私の魂が、大切な人を支えてくれるのだろうか。明日、大切な人が死んでしまっても、その魂が私に大丈夫だと感じさせ続けてくれるのだろうか。
たぶんきっとこれは間違えている。そんなはずはない。「永遠」は人間が考え付く最大の理想と願望で、そんなものは世界に存在しない。
たましいはどこにあるのだろうか。
“信じる”とか“安心”を具現化したいと思う心の叫びのような、哀れなわたしたちの、これまた理想と願望なのだろうか。
方向性が思春期の男子みたいになってしまったので軌道修正をしたいが、
どうにもこうにも行き詰ってしまった。困った。
たましいはどこにあるのだろうか。
たましいとか肉体とか精神なんて難しいことは考えなくてもいいのだろうか。
これじゃぁ華麗なまでに本末転倒。。
たましいは心ならば、たましいは心臓?
心と心臓は同じなのだろうか?心はたましいと近しく思えるが、心臓とたましいは別物に思える(主観ですが)。だけれども心臓は英語でHEARTだし、愛のような言葉をMyHeart~と使ったりもするから、そうなると心と心臓は同じなのだろうか。それならば、たましいとは心臓のことで、人間は死んで心臓が止まるとたましいも消えてしまうのだろうか。
それじゃぁウィキペディア様を全否定だ。
ダメだ、難しすぎた。
たましいはどこにあろうのだろうか。
きっと考えるべきことは、たましいの在りかではなく、自分自身の在り方で
最初に言ったように、今この瞬間で私が死んでしまうかもしれないし、大切な人が死んでしまうかもしれないし、だから何が出来るって聞かれたら何もできないんだけれどさ。
一瞬一瞬を大切になんて不可能で、つい嫌な言葉を吐いてしまったり、つい嘘をついてしまったり、そんなの日常茶飯事なんだけど、でもやっぱり基本なんだけど大切な人にはベースとして優しくしなきゃダメかもしんないね。
たましいはどこにあるかって問題より難題だけどね。
たましいはどこにあるのだろうか。
どこだろうね?分からないね。
別にどこでもいいか。
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