避難訓練
能登の震災で避難訓練のおかげで全員が生き残ったという記事を読む。
体感したことのない揺れを感じて、何も考えずとにかく外に出て高台の避難所に全員が集まったのだそうだ。
普段からの高い意識が多くの命を救ったのだと思うとただただ感心した。
というのも僕は避難訓練というのを真面目にやったことがない。
子どものころから毎年9月1日は関東大震災のあった日で、幼稚園から小学校からずっと避難訓練があった。
夏休み明けということもあるし、授業がないし、まぁそもそも子供だったからイベント感覚だった。
あの滑り台みたいなやつとかやりたくて仕方がなかった。
小学生の頃、転校したのだけれど、転校先はなんと防空頭巾をかぶって避難訓練をするらしくて、その時も初めての感覚にわくわくした。
真面目にやりなさいとお叱りを受けるかもしれないけれど。
子供なんてそんなものだと思う。
いや、真面目な子供もちゃんといただろうけれど。
一部の子供にとっては非日常を楽しんでしまうことはよくあることだ。
そして僕は大人と呼ばれるようになってからただの一度も避難訓練をしていない。
おかげでまじめに避難訓練をしたことがない人間になってしまった。
家のそばの緊急避難場所ぐらいは知っているけれど。
それ以外の生活空間の避難場所は知らないままだ。
それでも地震が来ても僕は意外に落ち着いていて、揺れが大きければ火元からだなとか、扉を開けておかないとなとか、咄嗟に頭を守らないとなとか、歩くならどのルートかなとか、ざっくりと頭の中にあったりする。
それはなんでなんだろう?と思い起こしてみたら。
小劇場で舞台をやってきたからだと気づく。
劇場を借りるには必ず安全管理責任者や火元責任者の名前を書かないといけない。そして非常口の確認や、緊急時の避難経路を確認する。
お客様がたくさん入る劇場ではそれを把握している人が必要だからだ。
特に東日本大震災のときは、天井が落ちたり、照明が落ちかけた劇場もあって、それ以降は安全確認や避難経路の説明に時間をかけるようになった。
集団での避難はいかにパニックを抑えて、冷静に個別行動をとらせずに避難をすることが大事で、そういうものを何度も読んだし、東日本大震災直後の公演では余震がまだあったから避難経路をお客様に配ったりもした。
皆で日頃から訓練して助かったというのはすごい。
ちょっと揺れるだけで平静でいられなくなる人だっているのだから。
地震の時に、キャッ!って声を上げる人とかもいる。
怖いものは怖いのだから仕方がないと思う。
だから、少しでも平静でいられる人が重要なのだと思う。
でも僕は大人になってから訓練していないんだなぁ。
東日本大震災では長い距離を歩いたりもしたけれど。
子供の頃、真面目にやってればよかった。
机の下に潜り込んでふざけて爆笑してたもんなあ。
今の子供たちは真面目にやっているんだろうなぁ。
阪神淡路大震災以降の避難訓練はその恐怖を映像で知っているのだから。
南海トラフでもなんでも、いずれ起きるのは起きるのだろう。
それまでに僕は訓練をすることはあるのだろうか。
その時は真面目に訓練しなくちゃだなぁと思う。