移住して、軽くなって、楽になった。
波の音で目が覚める。
2020年の冬。10年間住んでいた東京を離れて、神奈川県の三浦半島最南端にある三崎港という漁港の町に移住した。
まさか自分が、と思うくらい突然の話だったので、この1年間に何があったのかを振り返ってみた。
このnoteは劇団ノーミーツ1周年記念企画「劇団員24人全員がnote書く」のひとつです。劇団ノーミーツ 企画の小野寺正人が書いています。その他の劇団員のnoteはこちら。
会社員が劇団員になった話
(回りくどいけど、これは移住した経緯の話です。)
僕の仕事は企業のCMやイベント、アーティストのMVやライブ等の企画をするというもの。企画を作って、打ち合わせをして、企画書を書いて、プレゼンして、撮影して、編集して、特に活躍するわけでも無いまま日々をこなしていたら社会人7年目になっていた。
「なんか、パッとしないなぁ」
パッとしないけど何かを起こそうという気にもなれず。日々をダラダラと過ごしていたら、2020年4月に緊急事態宣言が出た。「あっ、これで日々をダラダラと過ごす言い訳ができた」くらいに思っていて、変わらずパッとしない毎日を過ごしていた。
そんなとき、Twitterでこんなものを見つけた。
この人、見たことあるなと思った。林くんは同世代の映画プロデューサで、劇団ノーミーツというちょっとうさんくさい集団(と思っていた)は当時鬼のようにバズっていたのだ。
「興味はあるけど、きっと結局自分は何もしないだろうな」
こういう仲間募集を見かける度、僕はいつもそう思っていた。当時の僕は会社の外の人たちと繋がりを全くと言っていいほど持てずにいた。同世代の人たちが次々と新しい何かを作っていくのを「羨ましいな」と思う一方で、これまで会社に守られて生きてきたので、外の世界に出るのがなんだか怖かった。
ただ、林くんの”大人の文化祭だなぁ”という文字がそのとき妙に気になって、僕みたいな人も受け入れてくれそうな軽やかさを(勝手に)感じた。その日の深夜に連絡をして、直ぐ返事が返ってきて、あれよあれよと言う間に「劇団ノーミーツ」の「劇団員」になった。2020年5月10日のことだった。
劇団ノーミーツには、実にいろんな人が居た。
僕のような会社員も居れば、フリーランスやら、脱サラした人も居て、パッとしない会社員だった僕はただただ皆の自由で軽やかな生き方に「凄いなぁ」とポカンするばかりだった。彼らと毎日のように駄話をして、打ち合わせをして、公演を作って、一緒に劇団の活動をしていると、自分までちょっと軽やかになれた気がした。
※劇団ノーミーツの一年の活動はこちらを参照
会社員が二拠点生活を始めた話
2020年6月1日、家でTwitterを眺めていたら、こんなものを見つけた。
劇団の活動でちょっとずつだけど軽やかになっていた僕はミネさんに連絡し、初めて三崎を訪れた。「TEHAKU」という泊まれるシェアオフィスを内見して、その日のうちに入居の意思を固め、半年分の家賃を払った。
あれよあれよと、二拠点生活が始まった。
三崎とは神奈川県最南端、東京から電車で2時間の港町。「三崎マグロ」という言葉が有名で週末には多くの観光客が日帰り旅行に来る場所。でも、それ以外にも、なんてことのない町並みと、小さな漁港がとても可愛くて、僕は訪れた瞬間この場所の虜になった。(この頃、月の1/3は三崎で、残りを東京で暮らしていたと思う)
ある程度長い時間を三崎で過ごすことで知れたこともあった。
平日は本当に街がガランとしていることとか。野良猫(三崎にはすごくたくさん居る)がみんなデブなこととか。365日同じ中華屋さんでご飯を食べている人とか。スナックのお母さんの優しさとか。
そして、泊まれるシェアオフィス「TEHAKU」には同世代の他の入居者も居て、その人たちがとても素敵だった。
会社員、編集者、映像監督、役者、フードスタイリストなど、皆バラバラのことをしていて、皆優しくて(三崎という街が皆を優しくさせるのかな)これまでの僕の会社員生活では出会えなかった人たちと話せて、心が豊かになった。
三崎で10日過ごし、東京で20日過ごし、夏が過ぎ、秋が過ぎた。
なんとなくその頃から僕は「どう暮らすか」を考えるようになった。三崎の人たちと一緒に日々を過ごすのはとても居心地が良くて、なんだか「暮らしている」感じがした。
それまで、28歳の僕は、社会人人生を「どう働くか」を考えることに費やしてきた。大きな仕事をするとか、仕事で賞を取るとか、そういうことだ。そういうことは確かに大事だし、それが上手にできていない自分に焦っていた。他の人と比べて引け目を感じたりもした。
だけど、三崎を訪れるようになってから「まぁいいか」と思うようになった。だって、どう働くかを考えるより、どう暮らすかを考える時間のほうが楽しかったから。
自分がどんどん軽やかになっている感じがした。
会社員が移住した話
と、いう話を同棲中のパートナーに話してみた。
すると「おっいいじゃん」となり、2人で三崎を訪れることになった。
11月、少し肌寒い三崎港に落ちる夕日を眺めていたとき
「住むか」
と2人でその場で同時に思い至り、その1週間後に物件が決まり、その3週間後に引越が完了した。
2020年12月21日、僕は三崎港に移住した。
その勢いそのまま、パートナーと2021年1月1日に入籍して、元旦の朝に歩いて5分の三浦市役所に婚姻届を提出しにいったら「若い人が来た」と事務のおばちゃんにびっくりされた。
引っ越した家は、築30年の商業ビルの1室。2DKで家賃6万5千円。三崎では珍しいエレベーター付きの物件。港の目の前で、窓を開けると波の音が聞こえる。(1階の喫茶店の昭和ミュージックと、隣の魚屋さんの「アジ安いよ〜」の声も聞こえる)移住するなら平屋がいいなと当初は思っていたけど、今の家は結構気に入っている。裏山もある。
三崎の人たちは、たくさんものをくれる。
入籍したその足で喫茶店に入ったら、喫茶店の店員さんとお客さんが僕たちのことを、そして入籍したことを知っていてプリンをくれた。
割烹に行くとタッパーに入ったたくあんをくれた。
スナックに行くとシャインマスカット(値札付き)をくれた。
28歳がこんなに甘やかされていいのかな?とも思うけど、ありがたくいただいている。
今は、週に1・2回の頻度で東京に仕事で行って、それ以外は三崎の自宅で仕事をしている。会社の仕事も劇団の活動も、全部が三崎の町の暮らしに混じってなんだかとても心地よくなった気がする。仕事をしながら釣りにもいくし、仕事をしながら農家さんのお手伝いにいったり、ちょっと不思議な時間の使い方をすることが多くなって「こういう暮らし方もありだなあ」と日々驚きながらも納得して生きている。
移住して、軽くなって、楽になった。
まさか自分がこうなるとは、な1年だった。
パッとしない会社員だった僕が、「劇団ノーミーツ」に出会って、もっと軽やかに生きようと思えるようになった。
どう働くかしか考えていなかった僕が「三崎」に出会って、どう暮らすかを考えるようになった。
この1年で会った人たちのおかげで、軽くなって、楽になった。
すべての出会いのもととなった劇団ノーミーツの存在にただただ感謝しているし、次は僕の番だろう。
誰かを軽く、楽にできるように、この町で暮らしていこうと思う。
(三崎に興味が湧いた方、是非連絡ください)
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