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エコロジー・リーディング実践編~「きつねの窓」④~
エコロジー・リーディング「きつねの窓」の実践記録である。「海の命」の反省を踏まえつつ、改良を図っていきたい。
なおこの授業、岐阜聖徳学園大学の神永先生の協力のもと、実践している。「きつねの窓」は本校が使用している教科書には載っていないので、ありがたい機会をいただいた。感謝しながら実践を進めたい。
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前時はグループごとに関心のあるテーマごとに読みを深めた。今回はその内容の共有場面について紹介する。
どのように共有していったか
世界の重なり方の変化の整理
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6つのグループで話し合ったことを、前時のホワイトボード等の写真を見せながら発表させる形で共有を図った。
このとき、どのような順序で発表させるかは迷ったが、議論の土台をつくるために、世界観①グループのベン図を最初に発表してもらった。詳しくは前回のnoteを見てほしいが、この授業では、指を染めることで変化する世界の重なり方をA、B、Cとラベリングして板書した。
Aは現実の世界とききょう畑の世界、そして窓の世界の3つがばらばらのときである。これは時間軸で考えれば、この物語の一番古い時間の頃の世界の様子である。このとき、現実の世界に、ぼくの母も妹も、大好きな女の子も、きつねもきつねの母も生きていたはずである。加えてききょう畑と、窓の世界は存在したのかは不明である。子供たちの中でも意見が割れていた。
このシミュレーションは、時間軸に沿いながら物語世界の在り様の変化を捉える試みである。第2時で、同じように時間軸に沿って出来事を年表に整理したが、その作業と比べると、子供たちの読みの深まりを感じた。
そしてそれが、きつねが指を染めることでBに移行していく。すなわち、ききょう畑と窓の世界が出現し重なる。そしてぼくはききょう畑に渡っていく。本文を読むと、ぼおっと大好きだった女の子のことを考えていたことが渡っていくことの条件のようであるが、このとき「窓の世界」が出現していたことを考えていた子供から、「窓の世界にいる人のことを考えていたから渡れたんじゃないか」という意見が出された。なるほど。
これは世界観①グループの解釈が、他の子に生かされた場面だろう。多くの子は、この物語は現実と架空の世界という二つの世界から構成されると考えていたが、「窓の世界」が提示されたことで、子供たちはその解釈を早速使って自分の考えを展開させたということである。これは自分とは関心が異なるグループと交流する意義であろう。
ぼくが指を染めることで3つの世界はCのように重なっていくと、世界観①グループは発表した。授業中の私はそれをあっさり受け入れて板書してしまったが、よく考えたら、3つの世界は本当に重なったのか、というのは疑問である。ぼくがききょう畑に渡ったのであれば、Bの状態でこの物語は進んでいったとも考えられるからだ。
ただ子供たちの意見を擁護すれば、ぼくは現実世界に生きている人間で、その人間がききょう畑というファンタジーの世界に行ったのだから、それは重なっていると考えることもできる。この授業では子供の意見を議論の土台として受け入れていった。
そしてぼくが指を洗ってしまうことで世界はBに戻る…が、子供たちは重なり方としてはBだが、Bと同じではないということを言った。Bのときは、ぼくはひとりぽっちだが、Cのあとは、窓の世界を知っているし、笑ってくれる人がいるという違いである。そうした変化があったことを表すために「B’」として板書した。
以上の作業により、この作品の世界の変化を時間軸に沿ってまとめることができた。
ききょうのこと、窓のこと
世界の重なりの変化を整理できたところで、この上にその他のグループの発表を板書していこうと考えた。
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世界観②グループは、すべてはきつねが仕組んだ幻で、きつねは鉄砲を奪うことに成功したから幻を閉じたという発表をした。
ききょうグループは、なぜききょうだったのか、ということを発表した。「永遠の愛」といった花言葉も持ち出しながら、周りにある杉の花言葉が「雄大、堅固、あなたのために生きる」といった意味であることとも関連づけて、ききょうと杉の組み合わせの意味を考えていた。また季節が紅葉の秋であるのに、あえてききょうの青をぶつけていることについても言及していた。「青」という言葉からイメージを広げ、冷たさとか孤独、死といったイメージがこの物語の世界観とあうことも指摘していた。また母狐が亡くなったあとにききょうがささやいたことから、ききょうは死者ではないか、という解釈も出されていた。
窓グループは、窓に映るものの条件を発表した。窓には何でも映るわけではない。特に、エコロジーを読んだことで、父が映らないことが疑問にあがっていたが、窓グループは記憶の強さが影響するのではないか、という解釈を発表していた。またそれならば、なぜ窓にお母さんや妹が映らなかったのか、ということになるが、それについては、ぼくが会いたかったのは、お母さんや妹というより、ぼくの楽しい思い出、家族との日常だったということではないか、という解釈が出された。これもなかなか面白い解釈である。大好きだった女の子はその姿がばっちり映るが、窓に映るのは姿だけではなく自分が見たい景色、味わいたい雰囲気のようなものも映るということである。子供たちが粘り強く解釈図式を更新させていく姿には感心させられた。
物語世界を探究していく姿とは、例えばこのように、解釈図式の崩れを乗り越えていく姿と言えないだろうか。
ぼくのこと、きつねのこと、関係のこと
最後に人物に着目していた3グループが発表した。単元前半も時間→空間→人物、と進めていったが、この授業の共有の順序も同じである。時間の流れなかで空間の変化をとらえ、そこで生きている人物たちに焦点を当てていく、ということが、この単元に限ってはあっているように思えた。
ぼくに着目したグループは、家が焼けたのは空襲ではないか、という解釈を提示した。詳しくは前回のnoteに書いたが、テレビではなくラジオ、またポリ袋が登場する時代ということからの連想である。
ただここで興味深いことは、ききょうグループがこの物語に存在する死のイメージが、戦争とつながるということだった。これもまた視点を越境しながら解釈を更新させていった姿だ。どこにも戦争という言葉はないのだが、物語世界に戦争が含まれると考えると、いろいろなイメージがしっくりくる。父親の不在についても、ぼくが幼い頃に戦争で軍人として出征したのではないか、だからぼくの記憶に父がなく、窓にも、この作品にも影を落とさないのではないか、と考えを発表していた。もちろん、空襲説に共感しない子もいた。それはそれでよい。でも戦争を解釈図式に取り入れると、この物語世界のシミュレーションがなんだかしっくりくる、という子が一定数いたこともまたよいと思った。子供が、身体的納得が得られるようなシミュレーションを重ねていくことが物語を読むことの面白さではないかと考えさせられた。
きつねグループは、幻グループとは違い、きつねは境遇が重なるぼくを助けようとしたのではないか、という解釈を出した。そして前回のnoteに書いたように、ではなぜきつねは一回しか助けなかったのか、ということについては、最後の一文を根拠に、ぼくがひとりぽっちではないことから、ぼくの本当の願いであるひとりぽっちからの救いは達成された、だからきつねはもう現れなかったと発表した。
関係グループもきつねグループと同様の問いについて考えていた。関係グループからは、きつねが役割を終えた、つまりぼくがひとりぽっちでは思わせない、人情に触れさせたということが発表された。
次時の予定
ここまで発表をしてきたことで、私は改めてこの物語の結末の意味を考えてみようと問いかけた。
これは私が提示した問いであるが、学習前から用意していたものではなく、前時に6つのグループに分かれて活動する子供たちと話しながらたどり着いた問いである。Cの世界で終わってもよかった物語だと思うが、そうしなかった意味を考えることになる。明確には説明できないが、それぞれのグループ、また子供たちが考えてきたことが生かせるような包括的な問いにしたつもりだ。どんな答えが返ってくるのか楽しみだ。