超純氷®誕生までの小野田商店「氷」クロニクル【#1 小野田商店100+ 】
株式会社小野田商店を知っていますか?
来年、創業100周年を迎える東京の製氷メーカー、株式会社小野田商店は平成25年に「超純氷®」を商標登録し、昨年より「小野田の超純氷®」ブランドの氷を先行販売しております。
99年に及ぶ長い月日を、陰ながら皆様とともに歩ませて頂いた小野田商店ですが、まだまだ皆様に広くご認知して頂いている製氷メーカーとはいえないかもしれません。
それもそのはずで、一般のお客様向けに飲食用の氷としてブランドを立ち上げたのは「小野田の超純氷®」シリーズの氷が始めてのことなのです。
では、なぜ今まで日本の製氷史の裏に隠れてきた小野田商店が、思い切って「小野田の超純氷®」ブランドを立ち上げるに至ったのか?
それは時代の変化により、氷を通じて皆様に笑顔を届ける企業であり続けるには、今までと異なるアプローチが必要だと考えたからです。
では、その理由を小野田商店の歴史とともに語っていきたいと思います。
小野田商店、それは一貫として氷を造るという仕事を果たしながらも、時代により異なる役割を担ってきたメーカーでした。
かつて氷屋は「インフラ」だった
小野田商店は、創業者・小野田末松が明治34年10月、愛知県安城に生まれ、東京の氷問屋へ奉公に出されたことから始まりました。
その後、大正13年に東京市北区滝野川で独立。そして終戦後に製氷メーカーとなり、戦後需要と氷冷式冷蔵庫の普及に助けられ、成長していきました。
この頃の氷は、今でいう電気やガスと同じような「インフラ」でした。
機械製氷の技術は既に確立してから長く経ち、世界的には電気式の冷蔵庫もアメリカやヨーロッパの一部では既にメジャーなものとなっていました。
しかし、第二次世界大戦で大きな損害を負った日本は、いわゆる戦後復興のある種の到達点として象徴的だった東京オリンピック(1964)前後まで、まだまだ冷蔵技術の主役が氷冷であり、家庭では氷を入れて使う氷冷式の冷蔵庫がほとんどでした。
そのため、台車に氷をのせ町を回る氷屋を呼び止めて、氷を必要な量だけ切り売りしてもらうという光景が日常的な光景の一つでした。
また、これは一般家庭においてだけでなく、業務的かつ大規模な冷蔵品の保蔵や流通でも氷冷がメインに使われていました。
例えば、昭和40年の小野田商店では「牛乳氷」というものが売上の37.5%を占めていましたが、これは文字通りミルクを冷やしておくための氷でした。
今では秋葉原駅などに僅かに残っている程度の「ミルクスタンド」ですが、かつては大きな駅には多くの、ミルクスタンドと呼ばれるミルクと菓子パンなどを扱ったファストフード店があり、立ち食い蕎麦よりも手軽で滋養ある軽食として、多くの人々に親しまれていました。
アンパンとミルクを流し込むように数十秒で完食して去っていくサラリーマンの姿がよく見られたといいます。
ミルクは戦後日本において「給食(学校給食だけでなく、工場給食、病院給食においても)」を通じて国策レベルで推奨され、日本国民の健康増進に大いに貢献しました。
当時は脱脂粉乳でのミルクの利用が珍しくなかったので、良く冷えた牛乳ビンのミルクはごちそうでもあり、新鮮なミルクの需要は大変なもので、小野田商店をはじめとした製氷メーカーでは「牛乳氷」というミルクを冷やす専用の氷を扱っていました。
また昭和25年10月には牛乳部を開業し、牛乳販売業自体も行っていました。
当時は機械冷蔵の機能を持ったトラックは少なく、鉄などの導体を敷いたトラックの荷台に牛乳ビンを入れ、氷を吹きつけるように詰め込んで輸送することでミルクを保存していたようです。
また、氷屋がかつてある種のインフラだったことの証拠として、夏季に比べて需要が下がる氷の売り上げを補うため、かつての氷屋の多くが冬季は石炭やコークスといった固形燃料を扱っていました。
当時は暖房器具も電気や液体燃料式ではなく固形燃料式がほとんどで、豆炭をコタツに入れたり、ダルマストーブにコークスを入れたりといった光景が身近でした。
また、家庭だけでなく大きな工場やホテル、オフィスにおいても固形燃料式の大型ボイラーが用いられることは多かったのです。
そのため固形燃料の需要は高く、多くの商店がそれを扱い、氷屋も当時は街中にありふれていたため、人々はそれらの場所で買い付けをしていました。
80年前ほどの小野田商店のお中元用の袋にも、当時存在した「石炭部」の文字が描かれています。
氷屋は、今でいうガソリンスタンドやコンビニのように人々の生活から切っても切れないものだったのです。
冷やす氷から、味わう氷へ
前述のように東京オリンピック(1964)は、日本の戦後復興と高度経済成長を象徴するイベントでした。
東京オリンピックが開催された昭和35年は、電化製品が一般化し始めた時期でもありました。
特に「電気冷蔵庫」、「テレビ」、「自動洗濯機」は三種の神器と呼ばれ人々の憧れの象徴となっており、中でもテレビは最も羨望の的で、持っている家庭があると近所の人まで駆け込んで大勢で観るという光景がありふれていました。
一方で電気冷蔵庫の普及はこの三つの中で最も遅かったといわれています。
しかし、昭和50年代にもなると電化製品はすっかり普及し、氷冷式冷蔵庫をすっかり見ることがなくなり、製氷メーカーはこれまでのような経営が難しくなっていました。
ところが昭和48年、ある製氷メーカーから家庭用ぶっかき氷が販売されると、これが爆発的にヒット。
小野田商店も「キングアイス®」を昭和60年に商標登録し、想定以上の売れ行きとなりました。
一方で高度経済成長の裏で問題になったのは環境汚染です。
全国で公害が多発し、生活用水も合成洗剤の普及により汚染が広がりました。
このような状況下でも安心安全な氷の品質を保ち続けるため、小野田商店ではイオン交換樹脂を使った純水装置をいち早く導入していました。
冷蔵庫に据え付けらた製氷皿で、氷を家庭でも手軽に作れる時代になりました。
それにより、氷は冷やすために使うものから、安心安全で飲食物をより美味しく味わうためのものへと、その価値は移ろいました。
「超純氷®」商標登録、そして小野田商店の超純氷®シリーズ発売へ
小野田商店では氷の安心安全、そして雑味のない美味しさを追記することにさらなる重要性を感じ、逆浸透膜ろ過(RO)装置を導入。
平成25年にはRO水のみを原料とした氷「超純氷®」を商標登録するなど、更に商品力を高めていきました。
RO水を用いた水を使うこと自体は、飲食料メーカーでは珍しくありませんが、超純氷®はさらに活性炭ろ過装置でも原料水に磨きをかけ、あらゆる物理的、化学的な不純物を除去しています。
さらに特殊な方法で原料水中の気泡を抑えており、また小野田商店は完全結氷(原料水を最後まで凍らせること)による、生産効率よりもクオリティを優先した独自製法で、業界でも高い透明度に定評があります。
前述のように「キングアイス®」等のぶっかき氷が家庭用として普及したことで、飲食店でも業務用ぶっかき氷の需要が高まりました。
その後に飲食店向けの自動製氷機が台頭してきますが、今でも多くのバーや飲食店において、小野田商店の「超純氷®」からつくられる衛生的なぶっかき氷が利用されています。
令和は、衛生的な価値が更に求められる時代となり、「超純氷®」のニーズは日に日に高まってきました。
明治から繋がる小野田商店の歩みは令和のいまも止まることなく、今日も「超純氷®」を作り続けています。
もっと広く超純氷®を届けたい!「小野田の超純氷®シリーズ」
さらに小野田商店は新たなチャレンジとして、今までは業務用氷を中心にしてきた「超純氷®」を、ご家庭でも楽しんでいただけるように「小野田の超純氷®シリーズ」を展開しています。
コロナ禍や人間関係のあり方の時代による変化を経て、宅飲みやおうち時間が重視されるようになりました。
そんな今日この頃において、今までと異なるアプローチで皆様に氷を提供したいと考えたからです。
小野田の超純氷®シリーズでは、多くの場合専門店で手作業にて加工されるような、あまり市場に出回らない形の氷をラインナップに取り揃えています。
専門店で扱っているような氷を気軽にお手元に、ということで業務用加工氷と比べてお手軽サイズとなっています。
次回はこの「小野田の超純氷®シリーズ」の立ち上げにあたっての思いや、そのコンセプトについて小野田商店現社長のお話を伺っていきます!
※(5/11 追記:都合により小野田商店社長によるコンセプトのお話は延期させて頂きます。
次回は小野田の超純氷®パッケージデザインの秘話をお伝えします!)