私のこと好きになって。Vol.2 「何者かになった、けど」
「何者かになりたい」という言葉。よく聞くし、私もよく言っていた。
中学生のとき、劇団四季のミュージカルを見て、えらく感動した私は母に「ミュージカルに出る人になりたい」と勇気を出して伝えた。母は「あんたね、あーいう人たちは小さい頃から何年も練習重ねてあーなってるの。無理に決まってるでしょ」と言われた。
高校生のとき、ファッション雑誌に出ているモデルに憧れた。モデルになりたいと密かに思っていた。足は太いし、腕はザラザラしてるし、体毛は濃いし、身長も中途半端。なれるわけない。アクションを起こすことはできず、誰かに打ち明けることもなかった。
19歳のとき、何気なく読んだ高橋歩さんの本に、視野をこれでもかぁ!と広げられた。(私の視野は360度のうち15度くらいしか使っていなかったなと思う)
彼は「やりたい!」と思ったことをすべて実行していた。無一文の状態からバーを開店させたり、自伝を書くために出版社をつくったり、世界一周したり。努力が一切できない私は「やりたいことがあればこんなにパワーが出るのか」「私も自分の好きなことやりたいことで生きていきたい」「何者かになりたい」と、仕事をやめた。
それから「やりたいこと」や「夢中になれる仕事」を探していった。
託児所、派遣、WEBデザイン、カメラマン、イベント企画、環境活動、ヨガ、ゴミ拾い、週末農業…。いつのまにか私は、標高600mの山奥で雇われ社長となり、一人で "野菜をネットで売る仕事"をしていた。資本金600万を2年でほとんど使い切り、一度も利益を出せずに、鬱症状で退任した。
26歳で結婚し、28歳で一人目、30歳で二人目を出産した。
30代になり、家を建てキャリアアップしていく友達と比べて焦っていた。手に職もなく、ほぼフルタイムパートで手取り10万、とまらない物欲、何者かになるどころか何も成し遂げていないうえ、借金もあり、毎月の返済に追われている。
そんな中、Yahooニュースで佐々木典士さんの記事を読み、ミニマリストを知り、モノを手放していく。今までのモヤモヤしていた想いや悩みが整っていった。自暴自棄になっていた私を「ミニマリスト」が救ってくれた。
数年後、ミニマリストYoutuberとして動画を投稿しはじめる。運良くトントン拍子に結果が出ていった。半年後には、通過率5%の音声プラットフォームVoicyの審査に通過、音声配信を開始。VoicyFESには2年連続出場など、四方八方からチャンスをいただき、おかげさまで今では総フォロワー10万人のインフルエンサーとなった。
19歳で「何者かになりたい」と志してから17年。3年目で最高月収60万に到達した。好きなときに好きな場所で働ける。言いたいことを言える場所がある。夢だった海外旅行もできるようになる。
私はやっと「何者か」になれたから・・
・・・から?
「何者か」になった私は満たされたかというと、そんなことはなかった。暮らしや仕事の面では満足だが、心に空いた穴が満たされない感覚だった。旅行に行っても「で?」と思ってしまう。
私が「何者か」になって、承認欲求を満たすことで、心に空いた穴を埋めそうとしていたことに気づいた。穴があることは前からなんとなく分かっていた。だが、現実問題にとらわれて見えていなかった。
中学生の私は、ミュージカルでステージに立ち、大勢の人の注目を浴びたかった。
高校生の私は、モデルとして雑誌に載り、羨望の眼差しで見られたかった。
「何者か」になっても、注目されても、褒められても、稼いでも、穴は埋められなかった。
きっと、この穴は一生埋まらない。
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