「書く習慣」1ヶ月チャレンジ Day5 昔はどんな子どもだったのか
研究者でない人たちと接すると、結構この手の質問を受けることがある。
何か「普通」の子どもと違ったのではないか、的な。
そんなことを言われても一般的なサラリーマン家庭であったし、ちょっとばかり運動が出来ないくらいのヒョロガリだった。
ただ一つ異なる点があったとすれば、「なぜ」「どうして」が多かったことくらいだと思う。
多いといっても、エジソンのエピソードのように小学校を追い出されるほどでは無かったし、あくまで集団生活を乱さない程度に、である。
乱していなかったかどうかは私の主観ではあるが。
でも、これが何か「普通」の子どもと違ったのではないか、という質問への答えにはならないであろう。
何かを不思議に思ったり、何かを見つけたりすることは、多かれ少なかれどんな子供でも経験するのではないだろうか。
これが他人より多少多いからって何かが変わるとは思えない。
おそらく違うのは子どもの頃ではなく今なのである。
よくよく考えてみると、私は今も「なぜ」「どうして」に引っかかり続けて生きている。
というか、研究者は、こうしたものに引っかかり続けることで飯を食う生き物である。
一般的なサラリーマンをしたことがないからわからないけど、ビジネスの流れに沿うためには、何かに引っかかり続けるのは許されないであろうことくらいはわかる。
進学して、就職して、と大人になるにつれて、みんなが同じように持っていたはずの「なぜ」「どうして」がいつの間にか失われてしまったのである。
かくして、昔はどんな子どもだったか、を考えてたつもりが、いつの間にか今もまだ私は「子ども」であることに気付かされることになった。