自己はないけど自己紹介してみる|vol.2
以前、こんな記事を書いてた。
あれから、かなり時は経ったが「自己紹介」について考えることはほとんど同じだ。
また、当時から自己紹介を幾度となく迫られてきた。
「自己」が何なのかはまだ分からないし、「マツタケ精神」を身に付けてからは更に、あらゆる生命等は不確定なのだと確信するようになった。
そんな中、それでも尚なぜ私たちは存在しないかもしれない「自己」の紹介をすることを辞めないのか?と不思議で堪らなくなっている。
限られた時間の中で、他者を知ろうとする行為。それこそが「自己紹介」であるのかもしれないが、そこには効率性を求めた上の消費社会の香りがぷんぷんする。
それに加えて、限られた時間で自己を紹介し、他者を知ろうとする行為は、とても暴力的に思えることもある。
もしかすると、このような私の思考自体も暴力的なのかもしれないが、いかにして「自己紹介」から逃れることができるか。
そして、時間的にも非暴力的なアプローチで他者を知ることができるのか。
その先には、どのような関係が待ち受けているのか。
こぼれ落ちやすく、無視されやすい何かを汲み取る実践をしていきたい。