文明社会不安症
文明社会と未開社会。
同じひとつの地球で存在するという意味では同じだが、そこには大きな差がある。どちらかが劣っていて、どちらかが優れているということを言いたいのではない。私がこれまで読んできた文献にも幾度となく「未開社会」という言葉を使うべきではないという意見が出てきた。私もそれには大いに賛成したいし、その言葉を避けてきた。しかし、ここでは未開社会への尊敬の意を込めてあえてこのように呼ばせてもらうことにしよう。
どうやらこの世には未開な社会が存在するのだということを知ってから、頭から離れなくなった。生きるために食べ、食べるために動物を追う。そんな単純な社会が存在するということ、そして彼らの生そのものの存在が頭から離れないのだ。
それに対し、私を取り巻く周囲の環境は複雑で難しい。
そして、ふとした時にそれが私を苦しめる。
文明社会に生きる人たちは、何らかの仕事に就き、そこにやりがいや生きがいを見出し、生きていくための食べていくための「お金を稼ぐために」働いている。
この「お金を稼ぐために」が私を苦しめている。
それが、私を、いやこの地球全体を取り巻く環境を複雑にし苦しめている。
今日は体調が悪くてバイトを休んでいる。ぼーっとした私の頭は瞑想状態にある今、考えることはこんなところだ。
できることなら、今すぐにでも未開な社会に参入し(弟子入りか?)、生きるために食べ、食べるために動物を狩りたい。
最近よく耳にするようになった「気候不安症」というものがあるが、今の私の状態にあえて名前を付けるのならば「文明不安症」とでも言っておこうか。もっと良い名前があれば、ぜひ御一報頂きたい。
ここから先は
¥ 200
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?