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バルビーノ・ガルベスという男

割引あり

1964年、ドミニカ共和国に生まれた
ガルベスは17歳の時に
アマチュアFAでロサンゼルス・ドジャースに
入団すると、マイナーで順調にキャリアを
重ねた1986年、メジャー昇格を果たしました。

10試合にリリーフ登板したものの、
目立った成績は残せず、チームを転々としながら
2Aと3Aを往復するエレベーター生活に加えて
メキシカンリーグにも在籍した右腕は
1994年、アジアにチャンスを求めたのです。

台湾のプロ野球チーム、
兄弟エレファンツと契約すると
1年目から16勝、防御率2.55という申し分のない
成績をあげてチームの優勝に貢献、
翌年も2年連続二桁勝利となる10勝を
記録しましたが、素行不良により、
シーズン途中で解雇された事から来日を決意しました。

1996年、32歳間近のドミニカンは巨人の春季キャンプに
押しかけるようにやってきてトライアウトを受けると
150キロ近い速球に、高速シンカーとチェンジアップ、
そして内角を鋭くえぐる重いシュートを披露、
見守っていた首脳陣は息をのみ
「こいつは何者だ?凄い奴が現れたぞ」と
ミスターが一目惚れして契約を決断した事から
身長180センチ、体重107キロの助っ人は
海を渡って来たのです。

「日本のプロ野球は自分にとってメジャーリーグ。
自信がなければ来ないさ」と台湾時代より
数倍上がった年俸で
天ぷらや寿司を味わい、秋葉原で買い物を楽しんだ
背番号59は、
いざ開幕すると向かうところ敵なしで
勝ち星を重ねていった一方、
中日の山崎とヘビー級の
大乱闘を展開して話題になると
日本酪農乳業協会のCMに出演、
「カルシウムブソク、シテイマセンカ?」
の名台詞を生み出しました。

最終的にリーグトップの203回を投げて
16勝をマーク、斎藤雅樹と共に
最多勝のタイトルを獲得するなど
史上最大11.5ゲーム差をひっくり返した
メークドラマ優勝に大きく貢献したのです。

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