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【グレッグ・ラロッカ】メジャーで才能の芽が咲き始めた矢先に広島にやってきた助っ人は内野なら何処でも守れるユーティリティーな守備に加えて逆方向へ強い打球が打てる打撃で一気にカープの主軸となった

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。
今回は、グレッグ・ラロッカを
取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=FsBAoF87Xq0

1972年、アメリカ合衆国ニューヨーク州で生まれた
本名、グレゴリー・マーク・ラロッカは、
マサチューセッツ大学アマースト校を
卒業した1994年、
MLBドラフト10巡目でサンディエゴ・パドレスから
指名を受け入団しました。

1997年に2Aモバイルベイベアーズ、
1998年には3Aラスベガス・アビエイターズと
順調にステップアップしていくと
2000年の9月7日、登録枠が拡張される
セプテンバー・コールアップにより
メジャーデビューを果たします。

シーズン終了までの13試合に出場し、
27打席に立つと
2本のツーベースに4本の単打を放ったほか、
サード、ショート、セカンドと
3つのポジションを守る器用さも見せました。

その後
クリーブランド・インディアンスに移籍して
再びマイナー暮らしをしていた2003年、
3Aで打率2割9分、10本塁打、68打点の成績を
あげた事から、シーズン終盤に
メジャーで5試合に出場、
9打数3安打、打率3割3分3厘と
ようやく才能の芽が咲き始めたのです。

ちょうどその頃、新たな助っ人を探していた
広島カープのスカウト、
エリック・シュールストロムは
広角に打ち分けるシュアなバッティングと
内野なら何処でも守れる堅実な守備に加えて
年俸2700万とお買い得だったラロッカに
目をつけて交渉を開始すると
32歳と脂が乗り、出場機会に飢えていた
身長181センチ、体重81キロの助っ人は
海を渡ってきたのでした。

来日当初、春季キャンプに参加した
ラロッカは日本式の長い練習に
戸惑いながらも、異国の地で
チャンスを掴んでやろうと
プロになって初めて左手の親指にマメが
できるほど、アメリカ時代の何倍も
バットを振り込んだのです。

さらにパドレス時代のスプリングキャンプで
交流があり、一足先に広島に入団していた
アンディ・シーツと史上初の
外国人二遊間を結成すると開幕直後こそ
打率2割前半と低迷しましたが
日本の野球に慣れてきた5月には、打率3割9分に
8本塁打と調子を上げ始め、前半戦だけで
26本のアーチを描きました。

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