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フリオ・ズレータという男

割引あり

1975年、パナマで生まれたズレータは
パナマ工科大学を卒業した1992年、
アマチュアFAでシカゴ・カブスと契約すると
傘下のマイナーリーグでプレーしながら
メジャー昇格を夢見る日々を過ごします

8年後の2000年4月6日、ついに
セントルイス・カージナルス戦に代打で出場し
念願のメジャーデビューを果たすと
2年間にわたり79試合に出場しましたが
打率2割4分7厘、9本塁打、38打点と
レギュラー定着には手が届かなかった2002年3月、
読売ジャイアンツは
前年限りで退団したドミンゴ・マルティネスに
代わる強打者候補としてアメリカで
くすぶっていたズレータの獲得に
乗り出しましたが契約には至りませんでした。

2002年シーズン、カブス傘下の3Aアイオワ・カブスで
120試合に出場し、打率2割9分3厘、31本塁打、
104打点の成績を残すと今度は中日ドラゴンズが
トラビス・ハフナーとともに
強打の新外国人候補としてリストアップしたほか、
フランク・ボーリックの不振から
パ・リーグ最少の101本塁打と長打力不足に
悩まされていた千葉ロッテマリーンズも
ズレータに白羽の矢を立てます。

しかしまたもや来日は実現せず
翌2003年のシーズンは
ボストン・レッドソックス3Aポータケットで
一塁手として出場、6月5日終了時点で55試合に出場して
打率2割7分5厘、12本塁打、49打点と
本塁打、打点ともにチームトップの成績ながら
メジャー再昇格は果たせず、40人枠から
外された事から本格的に日本行きを検討し始めました。

時を同じくして小久保、松中、城島、井口、バルデスが
ズラリと並び、ダイハード打線と恐れられた超攻撃的な
福岡ダイエーホークス打線でしたが
大黒柱の小久保がオープン戦で右膝を故障、
今期絶望となっていたためにサードが守れる右の大砲を補強すべく
阪神タイガースに入団した
フィル・ハイアットとともにズレータもリストアップして
交渉を開始、入団が決まった身長197センチ、体重113キロの大男は
シーズン途中で海を渡ってきたのです。

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