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ロブ・ディブルという男

今日、取り上げるのは
シンシナティ・レッズ速球派救援トリオ、
ナスティー・ボーイズの一員として
その名を轟かせたロブ・ディブルです。

1964年、アメリカ合衆国コネチカット州に
生まれた本名ロバート・キース・ディブルは
1983年のドラフト1巡目で
シンシナティ・レッズから指名されるほど
期待された投手でしたが
メジャー昇格まで5年を要しました。

ようやく芽が出てきた1988年、
メジャーデビューを果たすと、
持ち前の剛速球ですぐにセットアップマン
としての地位を確立、59回を投げて59奪三振
を記録します。

翌1989年7月4日、アメリカ独立記念日には
メジャー史上22人目の1イニング三者3球三振
を達成するなど、74試合に登板して10勝5敗2セーブ、
防御率2.09に、奪三振率は12.82という
剛腕ぶりを見せつけました。

1990年、通算347セーブをあげた
生粋のクローザー、ランディ・マイヤーズと
のちにマリナーズで佐々木と勝利の方程式を
形成する事になるノーム・チャールトンと共に
ナスティー・ボーイズを組閣すると
98回を投げて136奪三振に自己最高の
防御率1.74を記録、オールスターゲーム出場も
果たします。

荒々しいプレースタイルから
そう呼ばれていた強力リリーフ陣は
チームを地区優勝に導くと
オークランド・アスレチックスとの
ワールドシリーズ第2戦で、ロブ・ディブル自身
勝利投手になるなど、4連勝と圧倒的な強さで
世界の頂点に立ちました。

翌1991年はマイヤーズに代わって
クローザーに抜擢されると31セーブを挙げ、
2年連続でオールスターゲーム出場を勝ち取りましたが
失点した事に腹を立ててマウンドから
ウイニングボールを外野席に投げ込み
観客にケガをさせたり、
打者のインコースを執拗に攻めて乱闘騒ぎを起こすなど
気性の荒さは折り紙付きだったのです。

ノーム・チャールトンとダブルストッパーを任された
1992年も25セーブを挙げましたが、
「肩が痛いらしいから使わない」とのルー・ピネラ監督の
言葉に反論、「俺はそんなこと言っていない」と
瞬間湯沸かし器として有名だった指揮官と
取っ組み合いの喧嘩をするなど場外乱闘の方で
目立つようになりました。

成績が下降線を辿っていた1995年から
シカゴ・ホワイトソックスや
ミルウォーキー・ブルワーズ、
フロリダ・マーリンズと移籍を繰り返しましたが
ナスティー・ボーイズの時の輝きを取り戻す事はなく
ユニフォームを脱いだのです。

引退後、ESPNで解説者として従事していた
2001年2月20日、日本から海を渡って来た一人の
若きサムライに対して放った言葉で
再び注目を浴びる事になりました。

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