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【ロイド・モスビー】綿花畑で鍛え上げた脚力でMLBドラフト全体2位の万能選手はブルージェイズ不動のレギュラーとして活躍 優勝したいと巨人入りすると陽気な性格とその実力で人気者となった三拍子揃った助っ人

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回は、ロイド・モスビーを取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=qK6UFsMcAVQ

1959年、アメリカ合衆国アーカンソー州で
綿花(めんか)を
栽培しながら家計を支えていた両親のもと、
8人兄弟の末子として生まれたモスビーは少年時代、
バスケットボールに夢中になっていましたが
オークランド高校に進学してから野球を始めると
一気にその才能が開花します。

綿花畑を走り回って鍛えられた俊足に
ライト場外の民家に打ち込んだと
言われるほどのパワーで
1978年、MLBドラフト全体2位の1巡目という
高評価を受けてトロント・ブルージェイズから
指名されました。

自身は大学に進んでバスケットボールを
続けたいという夢を持っていましたが
苦しい家計を助けるために
プロ入りを決断、メジャーリーガーを
目指したのです。

1980年、守備範囲の広さが評価され
メジャーデビューを果たすと
ヤンキース戦では
靱帯再建手術を初めて受けた事で有名な
トミージョンから初ヒットを放つなど
打撃でも力を見せはじめた1983年、
打率3割1分5厘、18本塁打、81打点に
27盗塁の成績で
シルバースラッガー賞を受賞するまでに
なりました。

その後も不動のレギュラーとして
毎年コンスタントに成績を残し
球団初の地区優勝に貢献、
オールスターゲームにも選出されたモスビーは
1987年、キャリアハイとなる26本塁打、
96打点に39盗塁を記録し、
ア・リーグMVP男ジョージ・ベル、
ホームラン王ジェシー・バーフィールドと
共にブルージェイズ最高の外野トリオと
称されるほどチームに欠かせない
存在となります。

迎えた1989年のオフ、FA権を取得すると
年俸140万ドルで
デトロイト・タイガースに移籍し
阪神タイガースからメジャーリーグに
復帰したばかりの
セシル・フィルダーとクリーンアップを
組む事になりました。

2年後の自身の誕生日、11月5日に
再度FA権を取得したモスビーは
V奪回を目指していた読売ジャイアンツから
オファーを受けましたが
条件面で折り合いがつかずに白紙となります。

同時期にクリーブランド・インディアンスとも
交渉の席に着きましたが、こちらも思うように
話が進まず、所属球団未定の状態で
1992年のシーズン開幕を迎える事に
なりました。

一時はモスビーを断念した巨人でしたが
フィル・ブラッドリーがチームになじめず
退団し、チーム打率2割1分2厘の貧打で
オープン戦も最下位に沈んでいた事から
渡邉恒雄オーナーは激怒、
あらためて助っ人探しの必要に迫られます。

ただブラッドリーの反省から
クリーンアップを任せられる実力だけでなく
ウォーレン・クロマティのような
陽気でムードメーカー役も
担える人物を条件としました。

メジャー通算1494安打、169本塁打、
280盗塁を誇り、年齢もまだ31歳と若く、
さらに性格は底抜けに明るいモスビーは
まさに条件にピッタリの助っ人だったため
再度、交渉を開始すると
「俺はデトロイトでもトロントでも
優勝経験がないんだ。
東京ジャイアンツは日本で一番歴史があり、
一番優勝しているチームだと聞いたから
ぜひここでチャンピオンになりたいね」と
年俸80万ドルで巨人入りを決めると
1992年、開幕から1週間がたった
4月12日、南国をイメージさせる香水を
身に纏い、素肌にセーター、素足に
革靴という出で立ちで海を渡ってきたのでした。

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