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トニー・バーネットという男

割引あり

1983年、アメリカ合衆国アラスカ州に
生まれた本名アンソニー・リー・バーネットは
父親がリトルリーグのコーチを
していた事から、2人の兄とともに
野球を始めると、
ほどなくしてワシントン州に引っ越しました。

アメリカ高校ランキング1位に輝く優良校、
トーマス・ジェファーソン高等学校を経て
アリゾナ州立大学に進学したバーネットは、
野球を続けていた2006年、
MLBドラフト10巡目で
アリゾナ・ダイヤモンドバックスに指名されると
プロの道を歩み始めたのです。

1年目からルーキーリーグで優勝を経験し
2Aに上がった2008年には11勝7敗、
防御率3.87を記録するなど
順調に階段を登っていた3年目、
先発投手として3Aリノ・エーシズで
14勝8敗、防御率5.79の成績を残しましたが
ビッグリーグから声がかかる事は
ありませんでした。

失意の中、シーズン終了を迎えた
2009年のシーズンオフ、
先発投手を探していたヤクルトスワローズから
声がかかると、浮上するキッカケを求めていた
身長185センチ、体重86キロの助っ人は
海を渡って来たのです。

来日前、アリゾナの球団施設内で
読売ジャイアンツのマーク・クルーンから
ストライクゾーンの違いなど
日本野球のレクチャーを受けた27才の右腕は
準備万端整えて空港に降り立つと
ハリウッドスター顔負けの
端正な顔立ちで、たちまち話題となりました。

その姿を目撃した他球団の広報は
「格好良すぎるだろ」と絶賛しましたが
尿酸値が高く、痛風を発症していた助っ人は
いざシーズンが始まると、
一軍と二軍を何度も往復するなど
4勝5敗、防御率5.99と安定感に欠けた事から
1年かぎりで解雇されたのです。

しかし翌年、代わりの先発投手として
韓国のペ・ヨンスを
獲得したものの、直前の
メディカルチェックに引っかかり
来日出来ない事態に見舞われていた
ヤクルトスワローズは
急遽バーネットを呼び戻しました。

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