ケーシー・マギーという男
1982年、アメリカ合衆国カリフォルニア州に
生まれたマギーはソケル高校で野球と
バスケットボールに夢中になりますが
3年時に地域のナンバーワン選手と
呼ばれるほどの野球の才能を見せると
打率4割8分9厘、10本塁打に
三振ゼロという好成績を収めました。
進学したカリフォルニア州立大学
フレズノ校でも1年から全米内の優秀な新人
としてメディアに取り上げられるようになり、
2年にはチームMVPに輝くと
3年終了時の2003年、MLBドラフト全体の283位で
シカゴ・カブスから指名を受けて入団します。
マイナーリーグで3度のオールスター戦に出場するなど
実績を積んだ5年目の2008年、
3Aアイオワ・カブスで12本塁打、92打点を
記録した事から9月2日のヒューストン・アストロズ戦で
メジャーデビューを飾りました。
翌年はミルウォーキー・ブルワーズに
移籍すると、学生時代は外野を守った事も
ありましたが、シーズン序盤に故障した
リッキー・ウィークスに代わる二塁手として
元中日ドラゴンズ、ケン・モッカ監督から
抜擢されます。
さらに、サードも守れる器用な一面を発揮して
シーズン途中には三塁手として定着、
9月に新人選手として球団タイ記録となる
1試合6打点を記録するなど
ルーキー・オブ・ザ・マンスに選出された
シーズンは
最終的にリーグ新人最多の66打点に
打率3割1厘、16本塁打でレギュラーの座を
つかみました。
右膝のクリーニング手術を受けた2010年は
157試合に出場し、当時の球団記録104打点に
打率2割8分5厘、23本塁打とキャリアハイの
成績をマーク、特に8月は9打席連続安打を
達成してチームのMVPにも選出されます。
ピッツバーグ・パイレーツに移籍して迎えた
2012年7月31日、左手首を骨折した
アレックス・ロドリゲスの代役として
ニューヨーク・ヤンキースに移ってくると
ともに東北楽天ゴールデンイーグルスで
汗を流すことになる
アンドリュー・ジョーンズとチームメイトに
なり、少しずつ運命の歯車が動き出しました。
その年のシーズンオフ、戦力強化を図る
読売ジャイアンツと楽天から声がかかりましたが
打撃不振なら2軍に落ちるという
条件付きオファーの巨人に対して
出場機会に飢えていたマギーは
その条項が無い事に加えて
先天性の脳障害を患っていた長男マッケイル君が
日本の環境に馴染める事を重要視、
その長男のサポートも確約してもらった楽天に
入団を決めると年俸1億円で契約、
身長185センチ、体重100キロの助っ人は
海を渡ってきたのです。
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