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トニー・フェルナンデスという男

割引あり

1962年、ドミニカ共和国に生まれた
フェルナンデスは
1979年、17歳にしてトロント・ブルージェイズと
契約して入団すると
マイナー・リーグで汗を流していた
1983年9月、登録枠が拡張する
セプテンバー・コールアップにより
メジャー昇格を果たしました。

翌年からは主にトップバッターや2番打者を
任されるようになり88試合に出場、
4年連続ゴールドグラブに輝くなど
正遊撃手として成長していったのです。

1990年のシーズンオフには、
のちにナ・リーグ本塁打王となる
フレッド・マグリフと共に
サンディエゴ・パドレスへ移籍、
その交換要員は
ロベルト・アロマーに
ジョー・カーターという
将来のブルージェイズ、準永久欠番2名でした。

その後はニューヨーク・メッツ移籍を経て
1993年6月、再びブルージェイズに復帰すると
地区優勝に貢献しましたが、シーズンオフに
またまた移籍、レッズやヤンキース、
インディアンスと転々とした1997年12月8日、
三度復帰した
ブルージェイズで通算2000本安打を達成するのです。

翌シーズンも途中まで
打率4割をキープして話題になるなど3割2分8厘の
成績を残していた一流のメジャーリーガーに
その年のシーズンオフ、元MLBコミッショナー、
ピーター・ユベロス氏から連絡が入りました。

新人の松坂大輔が16勝を挙げるも
リーグ3連覇を逃していた西武ライオンズは
堤オーナーが直々にドミンゴ・マルティネスに
代わる助っ人探しに乗り出すと
面識のあったピーター・ユベロス氏に
相談した事から
メジャー通算2240本安打に
俊足を備えた両打ちの巧打者を
紹介されたのです。

ちょうどフリーエージェント中だった
フェルナンデスはこの話を承諾、
年俸3億3000万円で契約を交わすと
身長185センチ、体重90キロの助っ人は海を
渡ってきたのでした。

来日するや、
クリスチャンで禁酒禁煙だった助っ人は
球場ベンチ裏から灰皿の撤去を要求し、
練習ノックではワザとトンネルを繰り返したり
試合前は必ず暗い部屋で瞑想を行うなど
独特すぎる行動で周囲を唖然とさせましたが、
いざバットを握ると同じスイッチヒッターだった
松井稼頭央がクギ付けになったというほど、
桁違いのオーラと技術を見せたのです。

開幕戦は同期入団した
メジャー通算打率3割の助っ人
レジー・ジェファーソンと共に
3番サードとしてクリーンアップを形成し、
サイズの合わないヘルメットで
全力プレーを見せると
貧打にあえでいた西武打線の中核を
担っていきました。

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