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【タイロン・ウッズ】人並外れたパワーの持ち主は10年間かかってもMLBに上がれずアジアに活路を見出すと日本で大爆発 横浜と名古屋の空に大きな打ち上げ花火を連発してジャパニーズドリームを掴んだ助っ人

割引あり

おはようございます。
日本で戦うために、海を渡ってきた
愛すべき助っ人たち。

今回はタイロン・ウッズを取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=cJ_SVKccZbg&t=610s

1969年、アメリカ合衆国フロリダ州に生まれた
ウッズは、ハーナンド高校に入学すると野球のほか
アメリカンフットボールにも夢中になり
ウェイトトレーニングで鍛えあげたその肉体は
注目の的となりました。

1988年、MLBドラフト5巡目で
モントリオール・エクスポズから
指名を受けて入団するも、なかなか芽が出ず、
オリオールズやレッドソックスの
マイナーリーグを渡り歩く日々を送っていた
1996年、2Aトレントン・サンダーで99試合に出場して
打率3割1分2厘、25本塁打を放つと
翌年には3Aポータケットに昇格して
打率3割5分2厘、9本塁打の成績を残したのです。

しかし守備面の課題からメジャー昇格の夢は叶わず、
10年間で10球団を渡り歩いた28才は
大リーグに見切りをつけた1998年、
外国人選手制度が導入されたばかりの
韓国に新天地を求めました。

ウジュの登録名で
斗山(トゥサン)ベアーズに入団した1年目、
42本塁打、103打点とリーグ記録を更新する
活躍を見せて二冠に輝くと
2001年にはオールスターゲーム、
レギュラーシーズン、韓国シリーズで
MVPに選出されるトリプルクラウンを達成したのです。

外国人最多174発を放ったスラッガーは
20年経っても韓国野球史上最高の助っ人
No. 1に輝くほど愛されましたが、次第に
自分の成績と年俸が見合っていないと
感じ始めました。

次のステージとして日本球界進出を
模索するようになったウッズに対して中日は
レオ・ゴメスに続く主砲候補として
リストアップしましたが
ゴメスとポジションが被ったうえ、
ファーストには山崎、大豊もいた事から
山田監督は
「外野手が欲しい」と獲得は白紙に。

最終的にメキシカンリーグの
スコット・ブレット獲得に動いた事から
2002年も韓国に残った大砲に
今度はフランク・ボーリックの後釜を
探していた千葉ロッテや
球団史上最高額の3年9億円で契約した
スティーブ・コックスの控え助っ人を
探していた横浜ベイスターズから
声がかかりました。

千葉ロッテが元横浜の助っ人ロバート・ローズ
獲得に舵を切った事から一本釣りに成功した
ベイスターズは年俸5000万円でウッズと契約、
身長185センチ、体重102キロの大男は
海を渡ってきたのです。

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