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【西岡剛】打って守って走れる遊撃手 自分の成績に納得できない時は数億円を辞退するほどの男気 野球のためには練習生としてキャンプ参加も厭わないスイッチヒッター最多安打記録保持者

割引あり

おはようございます。
世界で戦うために、海を渡ったサムライたち。
今回は、西岡 剛さんを取り上げていきます。

https://www.youtube.com/watch?v=TWX0JKLT4Hs&t=97s

奈良市の中学校時代に全国大会に出場した野球少年は
憧れであったPL学園に進学を夢見ていましたが
セレクションで落選、大阪桐蔭高校(おおさかとういんこうこう)に進学します。

そのPL学園を倒すことを目標に高校3年間、
努力を積み重ねた結果、PL学園には負けなし、
3年時には4番を打つキャプテンとして甲子園出場も果たしました。

2002年のドラフト会議で千葉ロッテマリーンズから
1位指名を受けて入団すると、背番号「7」の期待通り、
1年目から一軍に昇格、2年目には
左打ちからスイッチヒッターに転向して頭角を現します。

翌2005年からは、セカンドまたはショートとして
スタメン出場が増え、パ・リーグ最年少記録の41盗塁で盗塁王をはじめ
ベストナインを遊撃手部門(ゆうげきしゅぶもん)、ゴールデングラブ賞を二塁手部門(にるいしゅぶもん)で
受賞するなどその才能が一気に開花、チームの日本一にも貢献しました。

2006年は、第1回ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表に
選出され、3ラン(スリーラン)ホームランを放つ活躍を見せたり
シーズンでは、1番ショートとして定位置を獲得、
33盗塁を記録し2年連続で盗塁王にも輝きました。

2007年も打率3割に加え、遊撃手部門でベストナインと
ゴールデングラブ賞をダブル受賞。
2008年も北京オリンピック野球日本代表の一番打者として日の丸を背負い、
シーズンでは2年連続の打率3割、2桁本塁打(ふたけたほんるいだ)を達成するなど
球界を代表するリードオフマンとしての地位を不動のものとしたのです。

2009年、シーズン中にボビー・バレンタイン監督の解任に反対した、
一部のファンが、過激な言葉でフロント批判の横断幕を出したことに対して

「選手1人1人のプレーを見て夢を描いたり、スタンドの歓声を聞いて
大人になったらこういう所でプレーをしたいと思って頑張っている
子供達の夢を崩さないでください、本当にロッテを愛してるのであれば、
明日から横断幕を下ろして、また応援をよろしくお願いします」と
呼びかけました。

そのリーダーシップから、2010年はキャプテンに抜擢(ばってき)されると
開幕から絶好調、プロ野球新記録となる27回目の猛打賞や
シーズン692打席、さらには
日本人のスイッチヒッターとしては初のシーズン200本安打に
遊撃手としての歴代最高の打率3割4分6厘など
次々に記録を塗り替えていきます。

主将として「史上最大の下克上」と呼ばれる
リーグ3位からの日本一を勝ち取ると、

メジャーで野球をすることは
子供の頃からの夢。若いうちに挑戦したい、と
シーズン終了後、
ポスティングシステムによるメジャーリーグ移籍を申請しました。

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