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片腕は無くてもMVPを獲得してメジャーリーグまで登りつめた不屈のバッター!ピート・グレイ 諦めるという言葉は俺にはない

おはようございます。今日、取り上げるのは、
片腕の大リーガー ピートグレイです

https://www.youtube.com/watch?v=hyu2Xto5jLc&t=35s

6歳のころにトラックから転落するという事故で利き腕の右腕を失ったピート・グレイ。でしたが
お父さんに連れて行ってもらった、ベーブ・ルースの予告ホームランを目の当たりにして
ヤンキー・スタジアムでプレーすることを夢見るようになります

片手でバットを振る練習をし、グラブをはめた左手で捕球した後、素早くグラブを外して
左手で送球する術を練習し身に着けました、その早業はのちにメジャーリーグでも
スローモーションでみんなが研究するほどでした。

グレイはメジャー入団試験を受けたが採用されず、マイナーリーグでプレーを続けます。

そのマイナーのテストを受けた時の逸話があります。

24歳の時、入団テストを受けにいきましたが、誰も取り合ってくれません。
そこで、10ドル紙幣を取り出し、ぼくの全財産ですが、あなたに預けますので
僕に入団テストを受けさせて下さい。もし、チームの役に立てそうになかったら、返さなくて結構です
から、と直訴して、なんとかテストだけは受けさせてもらいました、

その結果、見事合格して、マイナーリーグと契約することができ、なんと、MVPまで獲得しました。

そのかいもあり、またちょうどそのころ、第二次世界大戦で多くのメジャーリーグの
選手が戦争にいっていたため
メジャーリーグの各球団の選手層が薄くなっていました、片腕のため、
戦争に駆り出されなかったグレイは、メジャー球団と契約を結び、夢だったヤンキー・スタジアムでの
プレーを実現させることになりました、

しかしグレイのメジャー生活は長く続きませんでした。次第にヒットが打てなくなり、
戦争が終結して間もない1945年9月30日の試合が、最後の出場となりました。

引退後しばらくはギャンブルや酒に手を出し、すさんだ生活が続きましたが
1986年にグレイを描いたテレビ映画が放送され、伝記が出版されるなどして、
グレイの活躍は再び脚光を浴びることになり、使っていたグラブはアメリカ野球殿堂に
寄贈されております。

決して「諦める」ことなく、練習をかさねて、身体的なハンデを言い訳にせず
バッターボックスに立ち続けた ピートグレイ。

最後に彼の言葉を紹介します。

自分のような、体に障害をもつ者にとって、練習こそが全てでした。
でもたとえ練習してもチャンスはわずかなものでした。
「両方の腕があっても、野球をするのが難しいのに、
片腕で野球なんかできるわけがないだろう」
と言われたこともあります
それでも諦めず、夢に向かって練習したのです。と言い残して
ピートグレイは、87歳で、この世を去りました。

片腕の大リーガー ピートグレイ
いかがでしたでしょうか?
いやー野球って本当に面白いですね!

アイラブベースボール!

ご視聴、ありがとうございました。

これからも頑張って更新していきますので
チャンネル登録よろしくお願いいたしますね!

それではまたお会いしましょう!

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