福留孝介という男
今回は福留孝介(ふくどめこうすけ)さんを
取り上げていきます。
1977年、鹿児島県に生まれた福留は
小学3年生の時にソフトボールチームに入ると
右手の力が強すぎて打球が全てレフト方向に
ファウルになってしまう事から左打ちに転向、
6年時に全国大会出場を果たしました。
中学に上がるとプロ野球選手になるという
明確な目標を掲げて硬式球を使用していた
ボーイズリーグに入部し、全国制覇を
成し遂げたのです。
小さな体でホームランをかっ飛ばす立浪に
憧れていた少年時代、
地元に近い宮崎県で春季キャンプを張っていた
中日ドラゴンズの練習を見に行った福留は
立浪からバットとサインをプレゼントされると
さらにその憧れを強くした事から
地元の有力高校の誘いを全て断り
立浪の母校、PL学園に進学しました。
1年の秋から4番に座り、甲子園出場や
アジア野球選手権大会の日本代表に選出されるなど
高校No.1スラッガーとして注目されると
NPBドラフト会議では高校の先輩、
清原の6球団競合を上回る
7球団から1位指名を受けたのです。
抽選の結果、佐々木監督率いる近鉄バファローズが
交渉権を獲得しましたが、
「希望する中日、巨人以外なら
社会人野球へ進みます」との言葉通り、
入団を辞退して日本生命に入社しました。
1996年、入社1年目からチームの中心打者となり
アトランタオリンピック日本代表に
選出されると銀メダルを獲得、
公式戦以外ではプロ入りに備えて
木製のバットを使用していたというスラッガーは
「憧れの立浪さんがいる中日に入りたい」と
1998年のドラフト会議にドラゴンズを逆指名して
夢を叶えたのです。
チームの新人としては大豊(たいほう)以来
10年ぶりに開幕スタメンに名を連ねた
期待の新星は1年目から打率2割8分4厘、
16本塁打、52打点の成績を残して
リーグ優勝に貢献、オールスターにも
選出されるなど
期待通りの活躍を見せると、その後も
コンスタントに打ちまくりました。
2002年、最初のドラフト会議で交渉権を
引き当てた近鉄の監督、佐々木氏が
一軍の打撃コーチとして中日にやってくると
マンツーマンで打撃フォームの
改造に着手したほか、守備のほうでも
俊足や強肩を生かすために内野から
外野にコンバートされた事が功を奏して
飛躍の年となります。
チームでも指折りの酒豪でしたが
「夢を叶えたいなら何か好きな物をやめてみろ」
というコーチの言葉を受けて、徹底した
自己管理や摂生に努めると
打率3割4分3厘を記録して首位打者に
輝きました。
タイロン・ウッズと100打点コンビを
形成するなどその後もチームの顔として
打線を引っ張り続けた
身長182センチ、体重90キロの左打者は
2007年、ついにメジャー挑戦を表明し、
ジョー・アーボン代理人のもと
シカゴ・カブスと4年総額4800万ドルの
大型契約を結んで海を渡ったのです。
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